教育福島0173号(1993年(H05)09月)-026page
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望ましい保育を求めて
添田康子
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毎年四月に、園のチューリップが芽を出す頃、新しい制服に身をつつみ、にこにこと、あるいは不安そうな瞳で私をみつめる子。さまざまな思いで登園する子どもたちを門の前で迎えます。
幼稚園に勤務して、早、二十数余年になりました。この出会いは、「チューリップのように、一人一人の持ち味を十分発揮し、楽しい園生活を送って欲しい。」と願いながらいつも心が引き締まる想いがします。
日々の保育の中でさまざまなことに出会います。ある雨あがりの日、四歳の女の子が大声で呼ぶのです。
「園長せんせい!」
「どうしたの○○○ちゃん」と尋ねると、
あのね、
靴下が濡れてね、
裸足になったら、
トゲトゲがあって痛かったけれど、
でも、気持ちよかったよ。
そして
あっち、こっち、歩いてみたら、
お風呂みたいに 暖かいところが
あったの!
と目を輝かせて、話をしてくれた。「幼児期が人間形成の基礎づくりの時期であること。」更に「幼い頃に受けた感動体験は、いつまでも子どもの心の中に育ち続け、やがては自己の心として生き続けるといわれていること。」を考え合わせた時、このような感動的な体験活動の場を生かした保育の在り方が幼児の成長にとって重要なものであるということを教えられました。また、平成二年度から幼稚園教育要領が実施され、保育の在り方が検討されてきました。
この間「幼児側に立った保育。」等が叫ばれる中「与え過ぎないか。」、「放任になっていないか。」、「これでいいのか。」など様々な議論がありました。私は、常に原点に立ち戻り毎日の幼稚園生活において、一人一人の幼児が十分に自己を表出し、「今日も楽しかった。」「明日もまた幼稚園に行って遊びたい。」、そして「できた。」、「よかった。」という満足感、達成感、成就感にあふれた豊かな体験ができるよう、教育観・指導観・幼児観についての認識を深めていきたいと考えます。
子どもたちとのかかわりの中で、子どもたちのメッセージやシグナルを見誤ることなく、子どもたちの心をよく知り、子どもたちの想いや願いに沿って、暖かく支援していく。
この様な教師の姿を求めながら、最善を尽くしていきたいと考えています。
(須賀川市立仁井田幼稚園園長)
たくさんの体験を通し
石塚彰
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「夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空…」
中学生の頃、音楽の時間に歌のテストで歌ったのを覚えている。何曲か習った中で、歌を自由に選べたテストだったが、なぜこの曲を選んだのか、はっきりとは覚えていない。
その時はまだ尾瀬には行ったことがなかったのに、さし絵や写真を見ながら、そこにいる錯覚を覚えながら気持ちよく歌えたからではないだろうか。
その後、大学生になって同じ研究課程の仲間と初めて尾瀬に行った。ミズバショウ、リュウキンカ、タテヤマリンドウ等、色とりどりの花々や鳥の声。朝霧が少しずつ動き、眠りから覚める尾瀬沼と燧ケ岳。湿地に続く木道を行き来する人達の気持ちよいあいさつの声。大自然の中に身を置き、中学生の頃に歌った歌詞が頭の中に浮かび上がり、背中がぞくぞくするくらい感動した。
十数年過ぎた今年、夏休みに入ってすぐ尾瀬に行った。あいにく天候には恵まれなかったが、私たちを待っていたのは、ニッコウキスゲの色鮮やかな黄色いじゅうたんであった。六才になる長男、三才の次男の二人共、沼山峠から尾瀬沼、尾瀬沼から沼尻休憩所往復の約三時間程の道のりを花や虫、魚を見ながら楽しそうに歩いていた。二人の子どもたちには、尾瀬の姿がどのように映ったのだろうか。すばらしい芸術に触れれば触れるほどそのよさがわかるようになるのと同様、作りものではない本当の自然の美しさ、偉大さに触れることによって、自然を大切に
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