教育福島0173号(1993年(H05)09月)-027page

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しなければならないという心が育まれていくのではないかと感じた。

週五日制の実施に伴い、休日の過ごし方がいろいろ注目されている。会社でも休みが増え、余暇の活用ということで家族の触れ合える時間が多くなってきた。各関係機関でも、ジュニア・リーダー学級や野外活動、親子ふれあい教室などの催しが盛んになってきている。教育現場では、ごっこ遊びをしたり、いろいろな場所を探険したり、また、生き物を飼うなど、私たちが小さい頃していたことが生活科として取り上げられている。自然と触れ合う機会が希薄になってきているためと思われる。

夏休みに入り、学校の子どもたちも各家庭で生活している。家族や地域で計画を立て、いろいろな体験をしてほしいと思う。小さい頃から見たり経験したりしたことは、その後の生活に大いにプラスになると思う。我が子を含めて学校の子どもたちにも、たくさんの体験を通して、豊かな人生を送ってほしいと祈っている。

(いわき市立好間第四小学校教諭)

 

ほめ上手

沼内喜久男

 

子を詳細に語ってくれた。私も大いに感激し、楽しく思い出話に花をさかせた。

 

この正月、二十年前に担任した子供たちの同級会に呼ばれて参加した折、当時はあまり勉強の得意でなかったK君が、「先生にとても感謝しています。あのとき作った工作をほめられたおかげで、僕は他の教科はだめだったけど図工だけは自信がつき、これまでになることができました。」と、現在の家庭生活やら仕事の成功の様子を詳細に語ってくれた。私も大いに感激し、楽しく思い出話に花をさかせた。

ほめることによって子供は確実に変わると言われる。だが、このほめるということがなかなか難しい。私などは、いつも行き当たりばったりにほめていることが多かった。例えば、教師の近くで偶然に子供が何かよいことをしたときに、「えらいね。」「よくやった。」などと。ほめられた子は気分をよくし、それをきっかけに変わっていく。ところが、教師の方はほめたことをあまり覚えてはおらず、後から「あのときほめられたことでやる気を起こしたんです。」などと言われてはっとする。そして、教師が子供をほめることの効果を改めて考えさせられる。そこで子供をもっとほめてやらなければと思い直しはするが、その子のよいところがなかなか見つからない。日ごろの観察が甘いのか、よいところを発揮できるようにすることができない指導が悪いのかと自問する。

ところで、本校の用務員さんは、大変なほめ上手である。誰かが何かをした後で必ず「すごい、すごい!」と実に感心したように、しかもにこやかに言ってくれる。これが効果的なのである。彼女にしてみればそれは、一つの口癖なのかもしれないのだが。口は禍の元といわれる。しかし、彼女の例のように、口は幸いの元になる場合もあるものである。

「良い言葉の一度は、悪い本の一冊に勝る」(ルナール)-すぐれた一言のことばが人に与える影響は、お粗末な本を一冊読むよりはるかに大きいという。ましてや成長著しい子供たちである。与える一言の大きさを素直にかみしめる。

だからと言って、子供は何でもほめてやればよいのかというとそうではない。実の伴わないほめ言葉は、すぐ見抜かれる。しかし、子供の目線に立ち、素直な気持ちで接すると、心から「すごーい!」と言ってやりたい瞬間がたくさん見つかる。

一人ひとりのよさを伸ばし、個性を生かす指導が重視されている今日、子供たちを大いにほめ励まして伸ばしてやりたい。そのきっかけを日常生活の何気ない場面から発見できればと考えている。

(川内村立川内第二小学校教頭)

 

五番目の「あ」

蓬田吉穂

 

あせるな。不利になってもあわてるな。試合は最後まであきらめるな。』という

 

部活動(ソフトテニス)の指導をしていて、試合前になると必ず選手たちに話す言葉があります。それは、四つの「あ」を飲み込めということです。その四つの「あ」とは、『試合前にあがるな。試合中は絶対あせるな。不利になってもあわてるな。試合は最後まであきらめるな。』という

 

 

 


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