教育福島0173号(1993年(H05)09月)-029page

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なるというS先生。このような先生に出会ったのは初めてである。

教職経験も十五年を越え、年齢だけは確実にお二人のS先生に近づいている現在、改めて教師としての自分のあり方を問いかける毎日である。子どもも一人の人間であるという教育の原点に立ちかえり、全力でしかも温かな心で子どもたちに向き合える教師を目指したいと強く思う。

お二人のS先生との出会いに感謝しながら……

(喜多方市立第一小学校教諭)

 

今日、学べ

湯田透

 

した。教育設備も十分に整っており、生徒たちものびのびと学習していました。

 

はじめての教員生活は、一つの学年が二十クラスもあるマンモス校で始まりました。本当に忙しい毎日が続きましたが、充実した生活を送ることができました。教育設備も十分に整っており、生徒たちものびのびと学習していました。

そんな一年目のある時から、自分の考えに変化があらわれていることに気づきました。いま考えればあたり前のようなことであったと思っています。

それは、ほとんどの生徒が電車通学をするために、先生方が改札口から学校までの五百メートルの間の交差点等にいて毎朝安全指導をしたり、生徒が登校してくる前に、昇降口や廊下の清掃を行ったりしているのです。もちろんそれらの場所は、前日、生徒たちが清掃してきれいになっているところなのです。

私は、自動車などがほとんど通らない通学路の安全指導や汚れていない所の清掃を「どうしてここまでやらなければ……。」と心の中で思っていました。しかし、それが「あたり前のこと……。」だと思うようになったのは、教員生活二年目になろうとする頃でした。校長先生や先輩の先生方が黙って清掃をしている姿を見て、生徒を気持ち良く迎えようとする先生方の姿勢に気づくことができたからでした。

いま考えてみると、そのことが私にとって自分自身との戦いとなっていたように思います。

やろうと思えばできる(できそうな)ことを根気強く最後までやり通すことは、難しいことだけに大切なことです。

現在、私は、校内研修の係として現職教育計画を立てきちんと実行したり、一時間毎の学習プリントを作成する等の教材研究をしたり、放課後には、生徒たちと共に部活動で白いボールを追って汗を流したりしています。そうすることが、必ず生徒たちの持っているいろいろな能力を高め、生徒にとって、自分の可能性を追究するときの一助となるだけでなく、私自身の教員としての資質や能力の向上にもつながってくるように思うからです。

毎日少しずつでもいいから向上し前進しようと努力する生徒のためにも、しっかりと気をひきしめたいと考えています。

「今日(こんにち)、学べ」

最近に勤務した私立高校の校訓です。この言葉をしっかりと心に刻み、あたり前のことができるよう、一日一日を大切にして努力したいと思っています。

(田島町立荒海中学校教諭)

 

親の気持ち

矢吹和枝

 

まだまだ結婚するつもりは無いが、最近親の気持ちが分かったような気がする。

 

子供の頃、母親に言われたことがある。「おまえも結婚して子供を産めば、親の気持ちが分かるから。」まだまだ結婚するつもりは無いが、最近親の気持ちが分かったような気がする。

今年の四月から、私には四十六名の子供が出来た。ドラ息子、ドラ娘ばかりだが、みんなとってもかわいい。期末考査の時、机に向かって一生懸命に問題を解く姿を見て、ニヤニヤしている自分に気付く。悪さをした私よりずっと背の高い息子が身を屈(かが)める。「もっと頭を低くして。」コツンと一発。痛そうな顔。手の痛さも私の心に響く。他の先生に怒られているのを見ると、つい一緒になって怒ってしまう。逆に誉められていると、こちらまで嬉しくなる。何か問題が起きた時など、「うちのクラス

 

 

 


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