教育福島0175号(1993年(H05)11月)-023page
随想
日々の思い
ずいそう
民話の中の金売吉次
伊藤金治
民話や伝説の中で記録されているものはそのまま生き続けられる。まだ埋み火のように、その土地土地に細々と生きているうちにこれらを記録し、後世に残しておくのは、とても重要なことである。
祖母から聞いた、遠い思い出、金売吉次の悲劇と古文書による吉次信高の人物像について述べてみたい。
白河市街から南、約四キロメートル、昔の奥州街道筋に「皮篭」という古い集落がある。この集落の北端から西方、四百メートルの所に、金売吉次兄弟の墳墓がひっそりと祀られている。
金売吉次はNHK大河ドラマ「炎立」に登場し、活躍している人物で、「皮篭」の村人たちからは今も吉次様と親しまれている。ここは吉次兄弟とその従者十三人の終焉の地で、吉次の苔むした宝筐印塔を中心に、吉内、吉六の兄弟が左右に祀られ、訪れる人が後を断たない。
私がまだ小学生の頃、祖母からこの悲運の兄弟たちのことを、冬の囲炉裏端で幾度となく聞いた。祖母はこの「皮篭」の生まれで、同じように吉次兄弟の話を親や祖父母から伝え聞いたものであろう。
吉次兄弟は平泉、藤原秀衡の家臣であった。兄弟三人と従者十三人が京から東山道を通り、碓氷峠を越えこの「皮篭」の地にさしかかった時、大盗賊の首領・藤沢太郎入道等に襲撃殺害され、財宝悉く奪われてしまった。村人たちは兄弟の悲業な死を哀れみ、手厚くこの地に葬った。
吉次兄弟が難に遭ったといわれている「皮篭」には、小(黄)金橋、金分田、小(黄一金塚などの字名が今も残っており、「皮篭」の地名も砂金の入っていた鹿皮の袋に由来しているという。
先頃、この「皮篭」に『奥州白河皮篭郷吉次祀堂記』という文書のあるのを聞きつけ、さっそく持主を訪ね拝見した。これは漢文の吉次祀堂記であり、訓読していくうちに、さらに和文で記された原典の旧記があるのが分かった。ぜひこの目で確かめてみたいと思っている。
吉次祀堂記を読むと、金売吉次はいろいろの顔や任務をもっていたことが分かる。金売商人、金鉱山師、諜報活動者、将来の義経に対する軍事金貯蓄者、陸奥への京文化の伝達者、藤原秀衡の智的補佐役等々。
この『奥州白河皮篭郷吉次祀堂記』が史的資料として。どれほどの価値をもっているのかは分からない。しかし、古い歴史をもつこの「皮篭」郷にとっては、掛け替えのない貴重な文化財の一つであろう。
白河は古来、陸奥への玄関であり、大小の歴史的文化財が数多く残っている。「皮篭」など純農地帯も市街化が進み、誘致企業も多い。見慣れた自然の景観も、少しずつ変化している。これらの事実を認めながら、有形・無形の文化財の、いっそうの保護対策が迫られている。特に口承の民話や伝説等の発掘保存は緊急の課題である。その地域にのみ伝承されている文化財の発掘保存の一方策として、「老人クラブ」の組織をお借りしなければと考えている。そして、その仲立ちをするのが私達教師の重要な役目ではなかろうか。
(福島県立白河実業高等学校教諭)
コンピュータ雑感
玉上肇
「先生、今日の理科は、コンピュータ使うんですか。」係の生徒が聞きに