教育福島0175号(1993年(H05)11月)-024page

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来る。授業でコンピュータを使うようになってからこの言葉が聞かれるようになった。

最近、学校でのコンピュータ利用についての記事を、雑誌や新聞等でよく目にする。本校には、コンピュータが四十一台導入されており、条件的に非常に恵まれている。私は、理科の授業の中で、天体のシュミレーションや実験のデータのグラフ化等で使用しているが、子どもたちがコンピュータを使っている時の目は本当に生き生きしている。思わず「あんまり近くでディスプレイを見るなよ。」とか、「まばたき忘れるなよ。」などと、声をかけてしまうほどである。

学習指導要領の改訂にともない、主体的な学習ということがさけばれている。実際、主体的学習や学習の個別化にはコンピュータは、かなり有効な手段だと思う。個人差に応じた進度で学習を進めていくことができるということや、何よりも、自分からコンピュータに働きかけて学習するので、受け身的な学習ではなく、自分の意志・意欲に基づいた学習ができるということが魅力である。

生徒の興味・関心も高いので、コンピュータを取り入れた授業をなるべく行おうと思っている。だが、なかなか難しい。まず、準備が大変である。ほんの五分か十分授業で使うために、準備はその何倍もの時間がかかる。また、使える単元、場面が限られているということもある。無理をして使えば、使えないこともないが、理科本来の実物を使った実験・観察がおろそかになるのでは、コンピュータを使って授業する意味がなくなってしまう。「どんな場面で」、「どのように」をしっかり考えて使用する必要がある。とはいえ、コンピュータで、優れたシュミレーションを見たときの子どもの驚きの顔、なんともいえない歓声は、本当にいいものであり、苦労して良かったと思えるのである。そして「今度はどの場面で使えるのかな」などと、また使ってみたくなるのである。

私がコンピュータを始めた頃は、授業の中でコンピュータを使うようになるとは、予想さえしなかった。それがここ数年の間に、このように普及して各学校に導入されている。これから先、どんな発展を見せるのか非常に楽しみである。これからも、コンピュータの有効活用について、模索していきたい。

(福島市立清水中学校教諭)

 

より美しい

 

表現を求めて

 

佐藤淳子

 

の機会に音楽指導を中心として自分なりに歩んできた道を振り返ってみたい。

 

教職についてから、今年でちょうど三十年目を迎えようとしている。この機会に音楽指導を中心として自分なりに歩んできた道を振り返ってみたい。

わたしが音楽を好んで続けることになったのは、二つの大きな感動があったからだと思う。

今から四十年前、片田舎の小学四年生だったわたしは、会津若松市で開かれた会津方部の合唱祭に出場した。母が縫ってくれた真っ白なワンピースを着て「緑のそよ風」と「小鳥の結婚式」を胸をおどらせて歌った。それから、中学三年生の校内音楽祭の時、友と二重唱をすることになって、毎日かなりの練習をし、「砂漠の隊商」だったと思うが、全校生の前で精一杯歌いあげた。あの感動が今も忘れられない。

それ以来、その当時担当だった舟木先生のような音楽の先生になりたいと思い続け、現在に至っている。

この三十年間、多くの子供たちと数えきれないほどの楽曲を演奏し続けてきた。その中で一貫して思ってきたことは、「美しい表現」へ向けて工夫することである。特に「音楽発表会」は、より美しく表現することによって演奏者と鑑賞者が一体となって感動を味わうことができる。また、発表会を目ざして練習する過程も貴重な体験である。

しかし、この「美しい表現」の追求には限りがない。

毎年の合唱祭の時期になると、いつも高い壁にぶつかり、思い悩むのが「美しい声づくり」である。ある一定線までは、子供たちと共に力を合わせて練習できるが、その上の美しさを求めようとすると、わたし自身の力のなさを悔やむのが常である。この壁を乗り越えるための専門技能や指導技術の足りなさを痛感する時期でもある。父の口癖の一つ「人間は、悩むたびに少しずつ成長していくのだ。」の言葉に支えられ、今日まで続けてきたのも事実である。「発声は、まろやかやわらかシンを入れ、音色揃えて響きたっぷり。」これは、現在、日本の合唱指導の第一人者である渡辺睦雄先生が長年の音楽指導の体験から集約された珠玉

 

 

 


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