教育福島0177号(1994年(H06)02月)-006page

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提言

 

「感動の心」を

 

作陽音大教授・武蔵野音大講師 斎求

 

」意欲すら欠如している学生は大変多いのです。そこで私は、こう提案したい。

 

私は、十四年間のドイツ生活を切り上げて日本に戻って、十年目に入ります。当時から現在まで、あまりにも他人の目(他人から自分がどう見られているか)ばかりを気にし、自分の主張を満足に言えない人々の集まりが、日本人であるとの思いがいつも頭にあります。大学で学生に接し、つくづく考えさせられるのは、やはり独立心の少ない、自己の主張が出来ない若者達が大部分ということです。「自分の考えで発言し、行動する。」つまり、独創性をはばむ体質は、「偏差値教育」が根本にあると私は考えています。優劣を○×式で決める事が特に、芸術教育の面で、どれ程弊害になっている事か。教師に教わった部分の理解は出来るが、「自分で創造する。あるいは他の方法で試みる。」意欲すら欠如している学生は大変多いのです。そこで私は、こう提案したい。

高校での勉強とは、個々の抜きん出ている才能を一層伸ばせる授業形態とし、その為には中学時代に、それが何であるかを捜し出せるような教育システムが必要であります。将来の社会のそれも、例えばドイツのように、頭脳労働者と肉体労働者(例えば学者と職人)が五十才ぐらいには同等の給料と、社会的地位を受けれる仕組みになればいいと考えます。つまり、異なった道での専門家を目指してこそ、個々を高める結果となるのであり、そうなれば、より人間性を重視した社会となるでありましょう。

私は、音楽文化のある国を多く訪れましたが、いつも日本

 

 

 


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