教育福島0179号(1994年(H06)06月)-006page

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提言

 

学校…私の懐い、思い、想い

 

福島県福島保健所所長

上野文彌

 

学校側もこれに同調して来たというのがこれまでの姿であったように思われる。

 

現在我国は経済大国として世界的に認められるようになったが、その最大の要因は明治以来の教育重視の国家体制にあったと考えられる。先進諸国に追い付き追い越せをスローガンに国を揚げて知育教育(上級学校志向)に力を注ぎ、家庭では、子供を一流の学校に入学させ、一流の会社に就職させることに奔走して来た。学校側もこれに同調して来たというのがこれまでの姿であったように思われる。

その結果、教育の基本的なものの幾つかが失われてしまったのではなかろうか。以前に、私は「今の子供には遊びがなくなった」と何処かに書いたことがある。言い換えれば、子供に遊ぶゆとりが無くなったのである。また「遊ばないから障害児が増えた」とも述べたことがある。このことは単に障害児だけの問題ではなく、児童生徒の問題行動にも大きな影響を及ぼしていった。即ち、登校拒否、家庭内暴力、摂食障害、アパシー現象等など、私が子供の時代には認められなかった荒廃した数々の社会病理現象がみられるようになったのである。この荒廃現象は子供を通して各方面に広がった。家庭に、学校に、そして地域へと拡大し、子供の成長発達が大きく歪められていったと考えられる。

これが誘因となって、子供にとって最も大切な心身の発達のバランスが失われ、自己中心的な性格が形成されてきたように思われる。そのティピカルな例として「親は自分を産んだのだから、子供である自分の面倒を見るのは当然である」という子供たちがみられることである。また、このように自己中心的に育った大人たちの中には、他人との接触を好まず、核家族化を指向し、また「自分の親とは同居したくないが、自分が老齢になったら子供とは同居したい」、「自分以外は親兄弟と言えども全て他人である」といった考えをする人も少なくない。このような自己矛盾に気づいていない大人たちが多くなったのも大変なことである。

「子供は大人の鏡」といった諺があるように、こんな大人の姿を見て育った子供の中には「祖父母や両親は不潔だから不潔な人の入った風

 

 

 


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