教育福島0179号(1994年(H06)06月)-007page

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【著者紹介】

上野文彌・うえのぶんや

昭和十一年五月 福島県会津坂下町生まれ

三十年三月 県立会津高校卒業

三十八年 三月 福島県立医科大学卒業

三十九年 五月 同 神経精神医学教室入局

四十五年 三月 医学博士

四十七年 五月 福島県立医科大学神経精神医学教室講師

五十年十月 同 神経精神医学教室助教授

五十年十二月 福島県精神保健センター所長

平成三年四月 福島県福島保健所所長

 

呂には入りたくない。自分が入るまで誰も風呂に入るな」と平然と言い、それを黙認する親たちがいるといった笑えぬ実話さえ聞くことがある。

家庭にはシングルファミリーが増え、家族の連帯感は一層乏しくなってきている。従って地域の人々の連帯感や相互扶助の精神も乏しくなっていくのも当たり前のことで、愛国心など論外である。自分に直接利害関係のないことには、我関せずで手を出さない。このような風潮が次第に広がって来たのである。

学校の中にこのような大人社会の利己的・自己中心的な価値観が蔓延するにつれ、学校からは楽しさが消えていったように思われる。本来、学校とは同年代の子供たちが集まり、学年差による歴然とした心身の差がありながらも、集団生活をとおして友との関わりがあり、遊びがあり、いさかいがあり、その中で耐性を身につけ、助け合い協力し合って、仲間意識を育て、連帯感を譲成するといった徳育教育と、その上で社会に出ても困らないような知育教育の両輪がその基礎となっているものであろう。

以前の学校にはそれがあったように思われる。私が子供の頃の学校は楽しい所であった。勉強は嫌いな方だったから、家に帰るとカバンを放り出して、暗くなるまで友達と遊んでいた。学校には沢山の友達がおり、休み時間や放課後は特に楽しかった。友達や先生からいろんなことを学んだ。クラスの女生徒たちは用もないのに、暗くなるまで学校に残っていた。本音は家に帰ると手伝いをさせられるのが嫌だったからだが、学校が楽しくなければ、こんなことはしなかったと思う。

今ここで、教育論を述べるつもりはないが、精神科臨床の場面で問題行動の児童生徒に接し、その家庭や学校での様子を見聞きするたびに、「学校は児童生徒は勿論、先生方にとっても楽しい所であって欲しい」と痛感する。学校が楽しい所であったなら、子供たちの問題行動はかなり改善され、解消されていくのではないかと思う昨今である。

 

提言

 

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