教育福島0179号(1994年(H06)06月)-029page

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また、部活動にも顔を出し、後輩達を指導して帰って行った。このような教え子の姿を見ると、心が温かくなり、教師として生きがいを感じる。

こういう時以外でも、部活動を指導していて、たのしみにしている日がある。本校で決められている、部活動の分散会が行われる三月の第一土曜日である。

ゲーム修了後、色紙やメダルを贈り、三年生一人ひとりから後輩に話をしてもらう。この話の内容は、私にとって大きなたのしみである。印象に残ったゲームのことや、部活動への取り組みについて、涙ながらに話してくれる。今年の三年生は、チームワークのことを中心に話してくれた。それは、三年生がチームワークでは大きな問題をかかえていたからであった。私もそのことについて、技術指導以上に悩んだ学年でもあった。この生徒一人ひとりの話の中に、心の成長が感じられ、私の心を和ませてくれるのである。

実はこういうたのしみ以外にも、たのしんでいることがある。それは、ふだんの学校教育活動全体にである。この難しい単元をどう計画していこうか、どう導入しようか、指導の難しい生徒をどう導くかなど、授業でも生徒指導でもどうすればよいか考えることは、本当にたのしいことだと感じている。

教師として何年目かに、先輩の先生から「教育をたのしむ」という言葉を教えてもらった。その時は、その意味がよく理解できず、精一杯努力することだけを考えていた。そしてその成果のみを期待していた。

しかし、この頃、成果のたのしみばかりでなく、その過程でのたのしみ、指導をどうするか考えることに、たのしみを感じるようになってきている。難しい問題に対処しているときは、そんなことを感じている余裕はないが、実は、すごくたのしんでいるのかもしれない。

今日もまた、教育をたのしみたい。

(塙町立塙中学校教諭)

 

魔法の笑顔

結城志津子

 

、子どもたちから教わることも多く、教育者というよりは、「共育者」である。

 

私は教職について十八年目である。すばらしい先生方との出会いで、たくさんのことを教えていただいた。また、子どもたちから教わることも多く、教育者というよりは、「共育者」である。

私には、忘れられない恩師がいる。毎年暮れになると、そのS先生に年賀状を書き、近況報告をすることにしている。私が小学校三、四年の頃だから、三十二年前の恩師である。今年はS先生に不登校の傾向のある子への接し方について相談した。早速、先生から返事が届いた。「子どもを信じ、温かな気持ちで待ってあげなさい。急がせないこと。」それを読んだ時、三十二年前のS先生の笑顔がうかんできた。そして、三十二年前の自分の姿を思いめぐらした。

私は小学校一、二年では、引っ込み思案で話ができず赤面症。できれば学校を休みたがっていた面もあったように思う。三年生の時S先生に出会い、不思議なことが次々に起こった。魔法をかけられたみたいに、今まで感じたことのない自信がめきめきとついてきたのだ。いつの間にか大きな声で話せるようになり、演劇クラブにまで希望して入った。百八十度の転換だった。先生は私にいったいどんな指導をしてくださったのだろう。先生は、いつもとびっきりのにこにこ顔で褒めてくださった。その記憶ばかりである。どこを褒めてよいのかわからない困り者であった私を、とにかくよく褒めてくださった。特に絵を描いた時にはオーバーに。うれしさのあまり、あの頃描いた場面や感動を今だに覚えている。先生の言葉、「子どもを信じ温かな気持ちで……」これが私にしてくれたこと……三十二年過ぎた今感謝の気持ちでいっぱいになった。

教室には、子どもたちが待っている。限りない可能性をもっている子どもたち。一人一人を信じ、良さを見つけ、伸ばせる教師を目指したい。S先生の魔法の笑顔を目指したい。

今年は六年生を担当しているため、最高学年として子どもたちの活躍の場も多く、時間に追われ一日が過ぎていくように思える。そのため、ついつい指示的になりがちで反省すべき毎日である。今自分に大切なことは、どんと腰を据え心にゆとりをもつこと。そして「待つ」こと。その子なりの精一杯の活動や変化を見逃すことなく認め、卒業までの貴重な月日を子どもと共に歩みたい。

(浅川町立里白石小学校教諭)

 

 

 


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