教育福島0182号(1994年(H06)10月)-023page

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随想

日々の想い

 

ずいそう

 

ずいそう

 

落語で育てる

白井健雄

 

進めてきた。まさに今の教育課題である表現力の育成に努めてきたことになる。

 

私と落語のつき合いは、もう二十五年になろうとしている。学生時代に友人の影響を受けて以来、学校では「落語クラブ」の実践を継続し、また学校を離れては、「いわき落語研究会」を結成し、ボランティア活動を中心に「観賞」よりも「実演」を中心に研究を進めてきた。まさに今の教育課題である表現力の育成に努めてきたことになる。

私の現任校は全校生が三十一名の小規模校である。教職員と生徒たちは家族的な雰囲気の中で、日々教育活動に取り組んでいる。生徒一人ひとりが、個性的にしっかりした存在感をもっている学校である。

この小さな学校で「文化祭」が行われることになった。新校舎に移転して十年目に入ったからである。小規模校のため、これまで計画されなかったものを「記念行事」として盛大に実施しようというものである。ステージ発表の中に「落語」を入れていただいた。一年生三名と私自身が出演することになっている。

一年生の授業の折に、簡単な小噺を聞かせて文化祭の出演希望者を募った。男子生徒一人女子生徒二人が決まったが、その顔ぶれを見て驚いた。二人の女子生徒は明るく朗らかな生徒だが、男子生徒は、普段から非常に静かで表情の乏しい生徒だったからである。入学以来、声を出して笑った姿など見たことがないほどの目立たない生徒であった。

放課後、短時間で稽古を開始した。始めてみると、三人とも非常に意欲的で素質もあり、細かい演技の注意もよくこなしている。そして、それぞれに味がある。

いつでも子どもたちが演じている姿を見るのは楽しいものである。「もっと大きい声で。」「目線はこのへんに。」「扇子はここにこうやって。」とつい指導にも熱が入ってしまう。

表現の苦手だった男子生徒が座布団に座った。声は意外に大きい。二人の人物を上手に分けて演じ、身ぶり手ぶりも様になっている……。内心私は思った。この無口な生徒はこんな表現力を内に秘めていたのだなと。生徒の個性の発見である。私自身がイメージしていた以上のものが生徒の表現に表われたとき、一種の感動ともいえる驚きにとらわれ、自然に顔がほころぶ。落語の大きな効用である。

放課後、私の机の前に生徒が立ち「教頭先生、落語の練習お願いします。」とにこにこしながら言う。私は扇子とまんだら(手拭い)を持って、教師冥利に尽きるなという感慨をもちながら、いそいそと教室へ向かうこのごろである。

(いわき市立川前中学校教頭)

 

「私と剣道」

鈴木祥子

 

ある日のことです。先生は、「剣道でもやらせれば、少しは他の子供たちに迷惑

 

私が竹刀を握るようになったのは、小学校一年生の時です。勝ち気な性格で、他人の気持ちを無視した言動をとったり、学習の邪魔をしたりする落ち着きのない子供でしたので、担任の先生から毎日のように注意や指導を受けていました。ある日のことです。先生は、「剣道でもやらせれば、少しは他の子供たちに迷惑

 

 

 


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