教育福島0182号(1994年(H06)10月)-030page

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母が見えた−外は季節はずれの雪が舞っていた。

「リーン!リーン!リーン!」電話の音。大学生のいとこからだった。「お前、何やってんだよ。合格だよ!合格!」

受話器を持つ手が震えた。側に立つ石の母。「お母さん、俺、合格した。」−へなへなと座り込む母。顔はみるみるうちに涙でぐしゃぐしゃになった。

「よかったね……。」

 

一家団欒の夕食。台所から聞こえるまないたをたたく音。トントントントントン……。

父は、母の背中を見ながら、彼にこう語った。

「お母さん、お前の入試の夜、ひとりでふとんの中でしくしく泣いていたっけ……。」彼は目の奥にジワッと熱いものがこみ上げてくるのを感じた。心の中でささやいた。「お母さん、ありがとう……。」

次の日、母は彼にこう語った。

「けんちやん、あんたの落としたお金ね、あれ、今月分のあんたのお小遣いから引いとくね……。」彼は顔をガバッと上げた。−いつもと変わらぬ、ニヤリと笑う母が見えた−

二十年も前の昔のことである。

 

「少しな。」と

おかわり差し出すどんぶりに

てんこもりもる母のもり

 

わが母に、本誌数冊と、いまだ請求されていない五千円を、息子のてんこもりの愛情で捧げたいと思っています。

(福島市立福島第二中学校教諭)

 

出会いとは

鈴木章裕

 

から教員はやめられない。」と思う日がいつか来る。教師冥利に尽きる日が…。

 

「人生とは偶然の積み重なりによる産物であり、その偶然はまた、運命的な出会いに基づくものである。」こんなことを思うたび、今の生徒との出会いも偶然かつ運命的なものなのだろうか。私の恩師や職員室の先生方とも。教員一年目(去年は講師をやっていましたが)だけでもこんなにも多くの出会いがあり、これから続く長い教員生活の中で、もっと多くの出会いがあるだろう。そして、「これだから教員はやめられない。」と思う日がいつか来る。教師冥利に尽きる日が…。

「先生」と呼ばれて三ヵ月(講師を含めると一年三カ月)。今、面と向かっている生徒に「先生。」と呼ばれると、この出会いに感謝しなければならない。「この生徒のために私は何ができるのか。」と自分に問い掛けてみると、何もしていないような自分がいると恥ずかしく、はがゆい。こんな私にも生徒は「先生。」と呼んでくれる。教師であれ、講師であれ、教壇に立つ限り生徒にとっては「先生」である。私のような初任者でも。それ故、いかなる場合も生徒をいちばんに考え、「先生」として立ち居振る舞う必要があるのだろう。教師という職業に就いた限り。

しかし、「子供から学ぶ」ことがこんなにも多いものか。私の知らないこと、例えば、地域のこと、魚釣り、剣道…。それに比べて、私が自信を持って生徒に言えるのは勉強のことと海のことだけのような気がする。私は生まれてからこの伊南中学校に赴任するまで。海のある所でしか生活していなかった(いわき→函館→いわき)ため、川釣りのよさがこんなにもよいものなんて思いもよらなかった。これも、生徒と一緒に行かなければ分からなかったことで、生徒にはたいへん感謝している。生徒は私の釣りの「先生」になる。まだ、スキーの季節には早いが、生徒は私のスキーの「先生」になる。

知らないことは、「子供から学ぶ。」地域の遊びはやはり「子供」から。知らないことを「先生」だからといって知っている振りをするのは生徒に失礼だし、間違った知識で将来その子が失敗しかねない。せっかく、運命的な出会いで知り会った生徒にそんなことがあっては教師として恥ずかしく思う。今、剣道部をもっているが、恥ずかしながら指導は初めてなので、生徒から学ぶことが多く、たいへん勉強になる日々ばかりだ。

子供との出会いはおもしろい。それは偶然に、かつ、運命的なものなのだから。

(伊南村立伊南中学校教諭)

 

 

 


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