教育福島0182号(1994年(H06)10月)-029page

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気づく心を育てる

佐藤和子

 

「先生、こんな所にあき缶がいっぱい捨ててあるよ」

 

「先生、こんな所にあき缶がいっぱい捨ててあるよ」

子供たちは、どぶに半分埋まっているあき缶を拾い上げ、入っている泥水を音をたててあけている。

今日は、全校をあげてのボランティア活動の日である。私は、現在四年生を担任している。社会科でごみ処理の学習をしたためか、子供たちは大変意欲的である。しかし、実生活の中で一人一人がどれだけ意識し実践しているのだろうか。大きな不安が鉛のようにずしりと胸に残る。

夏休み、学区内の北宮諏訪神社のお祭に行ってみた。出店が軒を並べ、楽しそうに往来を歩く人の群れが、ゆっくりと流れて行く。私は、心地よい祭のざわめきにひたりながら、かき氷を食べていた。

ふと見ると、境内の塀にはあき缶や発泡スチロールなどの入れ物が山と積まれたり捨てられたりしている。このような光景は、ほんの一例にすぎないが、この中には、子供たちの捨てたものがあるかもしれない。

私のクラスには、自己中心的で友達も少なく、勝手な行動をしがちなA子がいる。ある時、A子が廊下に落ちていたごみを拾ったのを見つけた。チャンスだと思い大げさにほめ、学級のみんなにもA子の行動のすばらしさを知らせた。それ以来、A子はごみを拾うことを忘れないようになった。そればかりか、やがて机の中や身の回りをもきれいに整頓するようになった。さらに驚いたのは、友達からの注意に耳を傾けるようになったことである。A子は偶然ごみを拾ったのではないのではないか。「ボランティア」の合い言葉のもと、子供たちが自分の周りに目を向けることができるよう、日々の働きかけをしてきた。その結果の行動であったと思われる。環境に関心を持たせようと思ってやってきたことが、A子のよさをはぐくむことにつながったと言える。

今の子供は思いやりがないと言われているが、その前に、ちょっと身の回りに目を向けさせる工夫をしてみたらどうだろうか。花を育てることもいい、アルミ缶や紙パック類のリサイクル活動もいい、子供たちに気づかせる材料は身の回りにたくさんある。それを見逃さず環境に対する関心を高めていくことが、今、教師に求められていることの一つではないでしょうか。

私は、これからもずっと言い続けたい。

「ごみを捨てるということは、自分のやさしい心をも一緒に捨てることなんだよ」と。

(喜多方市立第一小学校教諭)

 

五千円札

福地憲司

 

ポケットには母からもらった五千円札。

 

ポケットには母からもらった五千円札。

高校入試の前日、彼は必要文具を買いに出かけた。鉛筆・消しゴム・定規……。家に戻ると、あるはずのつり銭がなかった。四千いくらかが消え、ポケットからは内布がペロッと舌を出していた。「お、お母さん、お、おれ、お金落としてきた……。」「仕方ないよっ。明日、明日。」母はとがめなかった。彼は顔をそっと上げた。−天使の母が見えた−

入試当日、彼は高価な鉛筆で問題に向かった。出来は良くなかった。落ちたかもしれない……。「お母さん、俺、落ちたと思う……。」「一生懸命やったんだから……。」母に動揺はなかった。彼は顔をやっと上げた。−少し疲れた母が見えた−

発表の日、彼は朝からずっと家にいた。時計と息子を交互に見つめる母を感じていた。予備校生活の準備、部屋の整理を黙々と彼は続けた。顔をチラッと上げた。−少し寂しげな

 

 

 


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