教育福島0185号(1995年(H07)02月)-017page

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随想

  

日々の想い

  

ずいそう

  

 

人を育てる大地   

 

  

人を育てる大地

  

島貫妙子

  

 

も同じだない。もう十分に生きたから、ハラリと枝から離れるんだない。」   

 

  

「大根は育ち終わればスポンと抜ける。木の葉も同じだない。もう十分に生きたから、ハラリと枝から離れるんだない。」

  

大家さんのおばあさんは、太い節くれだった手を梨の木にかけて私に話してくれた。当時私は赴任したての新米教師であり、ケサヨおばあさんの一言がなぜこんなに胸にしみるのか、自分でもいぶかしく思うくらいだった。大地が黒板、風が先生。泥にまみれて働きながら、かすかな生命のささやきに耳を傾け、深い知恵を蔵したおばあさんは、私にとって人生の師であり、亡くなった今も先生である。

  

知恵は内側からやってくるもの。感覚的にとらえていたにすぎない二十代。いよいよ地元に帰り、担任としてはじめて生徒たちに対面した時、私は生徒たちの心をゆさぶり、内側の宝に光をあてるものになりたいと願った。最初に取り組んだのがグループ学習である。一人一人の疑問をどうやれば大切に育てていけるか、心の軌跡が見えるようプリントを工夫した。生徒の目線の移動に気を配り、絵や色をふんだんにとり入れた。自分の子育ての経験から、映像や色彩が感覚を刺激し言葉につながった時、生きて働く力を持つと感じていたからである。当時、教頭先生であった斉藤公郎先生の温いまなざしに勇気づけられ、じっと成長を待つことの大切さを教えていただいた。次に挑戦したのが、生徒会活動である。生徒一人一人の個性を響き合わせ、オーケストラのような生徒会を創る。そのために話し合いの基礎基本を教え、生徒が自らの手で自分の内側の宝をとり出せるよう経験を多くさせた。錦中での文化祭、玉川中でのノーチャイム運動。血一我夢中でかけぬけてきた十二年であったように思う。その中で実感したことは、ある程度経験を積んで方法と自信をつけた生徒がリーダーとして活躍する場を与えられると、本人も驚くほど成長するということである。活動の場というのは養分に富んだ大地のようなものかもしれない。活躍の場をいかにセッティングするか、特別活動担当として各校の実践を見聞させていただいたことは、私にとって何物にもかえがたい宝である。

  

今年三月、学級の生徒たちは卒業していく。私は彼らの養分足りうる真っ黒な土をつくり得たのだろうか。一人一人を生かす学級づくりが目標だったがはたしてどうか、不安がよぎる。彼らの育とうとする力をひき出し、しっかり支えられるような先生になりたい。自分の未熟さを恥じながら決意する今日このごろである。

  

(いわき市立玉川中学校教諭)

  

 

  

休み時間の思い出

  

高野博幸

  

 

がそのまま大人になったような、やさしい目をした四十代の先生であった。   

 

  

私は、大学を卒業して神奈川県の小学校に二年ほど勤めたことがある。当時の私の学年主任をされていたK先生は、ガキ大将がそのまま大人になったような、やさしい目をした四十代の先生であった。

  

子供たちは、K先生の大きく、長い手が印象的であったらしく「ゴリラ先生」と呼んでいた。

 

 

 


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