教育福島0185号(1995年(H07)02月)-018page
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昼休みになると、K先生は真っ先に子供たちと一緒に校庭に飛び出してキックベースボールを始める。校庭の遊び場所は先着順である。給食が遅れたりすると、たちまちその場所は他のクラスに占領されてしまう。K先生のクラスは、給食を食べるのも、給食を終わるのも早く、.ほとんど毎日といってよいほど校庭の定位置を占めていた。
私のクラスの子供たちも私を誘いに来る。K先生のクラスの子供たちとキックベースボールをしたり、砂場で走り幅跳び競争をしたりして、大いに遊んだ。クラスの女の子たちもなかなか活発で、時には男の子顔負けのファインプレーを幾度となく見せてくれた。授業中には見られない生き生きとした子供たちの姿が、なつかしく思い出される。このように私はK先生から、子供たちと気持ちを共有して活動することの楽しさ、大切さを教えていただいた。
その後、私は福島県の小学校の教員となり、いくつかの学校に勤務した。ある学校で、体育館の開放が問題になった。休み時間にもっと遊ぶ場所や機会を増やそうというのである。しかし、私を含め、子供たちに使用させることに対して、先生方の大部分は消極的だった。誰かが体育館で見ていなければならない。そのことが「めんどうだ」という気持ちが自分にもあった。
結局「先生がつけば開放」ということになった。体育館まで行って、子供たちと遊ぶ先生は少ないだろうと、私は思った。
数日後、昼休みに体育館のそばを通ると、「ヒューン、ヒューン」という音が聞こえてくる。何をしているのかと思い、体育館に入ると、五年生の子供たちが思い思いになわ跳びをして遊んでいるではないか。体育館を楽しそうに駆け回っている子供たちもいた。隅には、冬の暖かい日差しを浴び、のんびりと子供たちを見守っている三年目の若い丁先生がいた。私は若い丁先生に、子供たちと気持ちを共有するゆとりを失っている自分に気付かされ、大いに反省させられた。
今私は、子供たちとともに汗を流し、充実した休み時間を過ごしている。
(原町市立原町第一小学校教諭)
保護者としての私
堺良和
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今年、長女が小学校に入学した。赤いランドセルを背負って家を出ようとする娘に、時折「気を付けてげよ。」と声をかける。日によっては、「行ぐどぎも、帰ってくっときもだぞ。学校にいっときもだぞ。」などとまで言う。そして、自分は、いつからこんなに心配性になったのだろうかと思ったりする。
九月に学校祭があり、授業参観も行われた。妻も一緒ではあったが、下の子ども二人を連れての参加は、なかなか骨がおれた。授業をなさっている先生には申し訳ないと思いつつも、下の子たちが授業の邪魔にならぬよう、時々廊下に連れていっては散歩させたり、抱き上げて窓の外の景色を眺めさせたりした。
不思議なものである。いつもは見慣れた「学校」や「先生方」が、いつもとは違った感じに映った。教室も廊下も階段も、我が子がそこで遊ぶとき、そこを通るときの姿をイメージしながら見ていたように思う。そして、自分でも気付かぬうちに安全点検をするような目で校舎を眺めていたのである。もちろん、潜在危険箇所も何もなかったのだが……。
授業中の娘の挙手率は、五割程度であったろうか。娘が挙手できないとき、私は娘の思考の流れを想像していた。娘が発言したとき、作業しているとき、私は、何かしら娘ならではの「よさ」はないものかと探していた。
改めて親の心、保護者の学校や教師に寄せる思いというものについて考えさせられた一日であった。
教師としての私も、親としての自分が我が子に寄せるような思いを持って教え子たちを導いていこう。我が子が学ぶ校舎に寄せるような思いを持って勤務校の環境整備に努めよう。そして、保護者としての自分が我が子の先生に寄せる思いを、教師としての自分に寄せよう……。
現代の日本人のほとんどは忙しさの中で生活している。それは、あたかも高速道路を走るドライバーが、
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