教育福島0187号(1995年(H07)06月)-004page
文化の窓
県立博物館
平成7年度第2回企画展
「海のまくあけ」
−漂流・探検・海防、そして開国−
会期7月22日(土)〜9月17日(日)
休館日月曜日
一七九二年、ロシアの女帝エカテリーナ二世は、三人の日本人漂流民である大黒屋光太夫、磯吉、小市の日本への返還と日本との通商関係を築く目的で、ラクスマンを北海道の根室に派遣しました。
幕末期は、日本に対して開国を求める外国船がさかんに来航した時期でした。これらに対して幕府はいかなる対策を講じたのでしょうか。
海岸の測量を行って日本全図の作成に貢献した伊能忠敬や、北方の支配地域確定のため、蝦夷地や樺太の探検を行った最上徳内や間宮林蔵などの活躍はよく知られています。しかし、自分たちの意思とは無関係に異国の地に流され、自ら見聞してきた異国の様子を幕府に報告した漂流民や、沿岸警備兵となって住み慣れた土地を離れ、実際に警備に携わった武士や農民はあまり知られていないようです。
本企画展は、「開国」前後に外国船が日本へ盛んに来航するなかで、幕府がとった対策の下で活躍した人々の様子を、1)数多くの外国の情報をもたらした漂流民、2)本格的に開始された日本全国の測量と北方探検、3)会津・白河・二本松の三つの藩が携わった蝦夷地や江戸湾沿岸の警備、4)ペリー来航による「開国」の四つのテーマで紹介し、日本が欧米列強諸国の中に放り込まれることになった「開国」の意義を改めて考えてみたいと思います。
▲野戦砲の塵
▲嘉永日年日月3日渡来北亜米利加蒸気船の図
▲モールス電信器の実験の選