教育福島0189号(1995年(H07)09月)-006page

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提言

 

混沌の時代こそ、教育の原点へ

学習院大学教授

斎藤利彦

 

なったのは、「オウム真理教事件」をはじめとする時代の混迷の状況であった。

 

この六月、高校時代の恩師の退職を祝ってクラス会が開かれた。青春時代のなつかしい話に花が咲いたが、友人たちとの間でふと話題となったのは、「オウム真理教事件」をはじめとする時代の混迷の状況であった。

今日の日本社会の混沌は、残念ながら誰しもが認めざるを得ないところではないだろうか。政治、経済さらには宗教と様々の局面にわたって、多くの問題が次々に噴出している。確かに、戦後日本は世界に類を見ないほどの経済発展を遂げ、二十一世紀は日本の世紀であると予言するハーマン・カーンのような学者さえ出現した。しかし、現在その予言を肯定する人がどれだけいるだろうか。逆に日本は今、バブルの崩壊、急激な円高、さらには産業の空洞化によって深刻な経済危機に直面しており、不況からの脱出や雇用不安の解消等、未来への明るい展望はいまだに見い出せない状況にある。

いや、こうした状況は日本に限ったことではない。ベルリンの壁の崩壊以降、世界は混迷と激動の時代を迎え、民族問題や宗教問題を要因とする紛争が多発するようになっている。また、地球の温暖化やオゾン層の破壊等、地球規模での環境問題の悪化も深刻化し、これらの問題を解決することなしに、人類の生存は不可能であると言われているほどだ。文部省が一九九二年に『環境教育指導資料』を刊行し、「すべての教科で環境教育を」と唱えたのも故なきことではない。

きわめて悲観的な物言いをしすぎたかもしれない。しかし、クラス会での多くの友人たちも、多かれ少なかれこのような危機意識を共有していた。

 

 

 


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