教育福島0189号(1995年(H07)09月)-023page

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随想

日々の想い

ずいそう

 

来し方行く末

村越洋子

 

ろの自分を思い起こせば、よくもまあ、と言葉にはならない感慨にとらわれる。

 

いつの間にか、生徒から「お母さんのように…」などと冗談を言われる年齢になってしまっていた。教師になりたてのころは、「先生、居たのかよ。」と言われるほど、生徒と同化していたのだが。人生も半分が過ぎ去り、そのまた半分を私は福島県の教師として過ごしてきた。高校時代には、思ってもみなかったことである。また、採用試験を受けたころの自分を思い起こせば、よくもまあ、と言葉にはならない感慨にとらわれる。

年齢を重ねた分、少しは良くなったのかと問われれば、まったく自信はない。生物的な時間の経過は明らかだが。はたして自分は、教師に向いているのだろうか、と自分に問うたことも何度かあった。人間的な強さや、指導力など、どう考えても自分は未熟者であるという思いがあるからである。しかし、その思いも生徒と向かい向っているときには、忘れてしまう。未熟者であるゆえに一生懸命に、夢中になってしまうからであろうか。授業の五十分間は、あっと言う間に過ぎる。生徒の反応を見ながら冗談を言ったり、時には脱線したりすることもあるが、まるでジェットコースターを運転しているかのように授業は進んでいく。生徒とのおしゃべりも楽しい。賢明なる生徒諸君は、年配の私に合わせ、気遣ってくれているのだろうが。また、何か相談されれば、私は自分のまことに貧弱な経験から一生懸命に語るしかない。このようにして、数多くの失敗を重ねながら現在に至っているわけである。多くの人に助けられ到達した現在地は、山に例えればどの辺であろうか。過ぎてきた道を振り返るゆとりが少しはできた今、私は感謝の気持でいっぱいである。

現在、自分の母校に勤務しているが、当時と変わらぬ制服姿の生徒を見ると、タイムスリップし、柱の陰から級友が現れてきそうな気がしたものだった。しかし、次第に時の経過を理解し、学生時代とは違ってさまざまなことに思いをめぐらしている自分に気付く。あの当時と今とでは、何と変わったことだろう。二十世紀が終わろうとしている現在、私たちが青春を過ごした日々はどういう時代だったのだろうか。そして二十一世紀はどういう時代になるのだろうか。青春時代に考え悩んだことは、決して無駄にはならないだろう。願わくば、生徒たち若人が、受験勉強だけでなく、過去の歴史を知ることにも心を向け、現在の世界の状況に関心を持ち、そして、未来に思いを馳せてほしいと強く思う。

(県立会津女子高等学校教諭)

 

同級生

武者吉洋

 

もたちを目の前にして自分の教師としての成長を自ずと省みてしまうのである。

 

男子十六名、女子十二名計二十八名。現在私が担任している六年一組の子どもたちである。六年生の担任はこれで五回目。教職十二年目の私にとって慣れた学年だが、この子どもたちには今までとは違い、格別な思いがある。この子どもたちは私が教職についた年、昭和五十八年度の生まれだということである。十二年と数ヵ月、心身ともにめざましい成長をし続けた子どもたちを目の前にして自分の教師としての成長を自ずと省みてしまうのである。

この間、結婚をし、三人の子どもにも恵まれるなど人生の中でも多分大きなできごとになるであろうこともあったが、教師として、また、人としてどうであったろうかと考えさ

 

 

 


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