教育福島0190号(1995年(H07)10月)-029page

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「ほめる」ということ

柳橋幸裕

 

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらずば、人は動かぬ。」

 

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらずば、人は動かぬ。」

これは、忘れてはいけないと私が心の中でいつも自分に言っている言葉であり、この言葉を教えて下さったのは、高校の恩師であるS先生です。

私は、S先生に、二年間にわたり体育の授業の中で、柔道を習いました。柔道は、日本古来の武道であり、礼儀を重んじる大変厳しいものです。それは、柔道の授業でも、もちろん同じで、道場に入るところから始まります。まず、礼をして道場に入り、各自受け身の練習をしながら、先生がいらっしゃるのを待ちます。先生がいらっしゃると、集合し、礼をしてから、授業にはいります。S先生は、とても大柄で、どっしりとしていて、非常にあたたかみがあり、いかにも頼りがいがあり、体格が性格を表していました。先生の授業は、まず先生の模範指導から始まり、私たちとともに「固め技」や「投げ技」の練習を行いました。私たちではとても歯がたちませんでしたが、厳しさと優しさの中に、一人一人に丁寧に指導をして下さいました。私は、武道を学んだ経験がなかったために、この柔道の授業を大変新鮮に感じるとともに、柔道を通して「きびしさ」と「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらずば、人は動かぬ。」という素晴らしい言葉とその意味を学びました。

ある日の乱取りの練習のとき、どのような技をだしてもなかなか決まらなかった私が、必死でだした内股で、友人をきれいに投げつけました。「どうだ!」と友人を見た私が顔を上げると、そこにS先生の顔がありました。

「今のは、いい内股だった。」

先生に一声かけられた私は、「どうだ!」と心の中でつぶやきました。それ以来、私は、必死に「内股」を練習し、自信を持って試合に臨みました。決まるときもあれば、失敗するときもありましたが、柔道の時間は、いつも待ち遠しいものとなりました。

あれから八年が経ち、私は今年の四月から教師となりました。初めのうちは大変緊張して、授業のときなど、黒板と話をしているようでしたが、最近は少し余裕が持てるようになってきました。授業中よく見ると、キラキラと輝いている生徒の目が私を見ていることに気が付くことがあります。そんなとき、S先生はどんな心で私たちを見ていたのだろうかと、高校時代を懐かしく思いだします。

私は教師という立場になり、はじめてS先生の言わんとしていることが、分かってきたように思います。自分が精一杯努力するとともに、生徒の可能性とたくましく生きる力を信じて、慈愛の心を忘れずに「やってみせ、…ほめてやらずば、人は動かぬ。」の言葉を心の中で繰り返しながら、私は今日も授業へと向かいます。

(県立四倉高等学校教諭)

 

やればできるって!

田中邦宏

 

の教師として、また男子バレーボール部顧問として多くの課題につき当たった。

 

新採用として昭和中学校に赴任して四年が過ぎようとしている。赴任した当初は、保健体育の教師として、また男子バレーボール部顧問として多くの課題につき当たった。

中体連等の大会において、生徒たちは、競技の始まる前から気落ちしてしまって、「どうせ勝てないんだ」と思い込む傾向があり、勝利の喜びをなかなか得られないでいた。

昭和中学校のユニフォームに誇りを持ち、自信を持って、いさぎよく胸を張り、大会に臨む生徒であってほしかった。自分に自信を持つことは、これからの生徒の人生にとって極めて大切な要素であると考えたからである。

私は大学時代の四年間、体操競技

 

 

 


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