教育福島0191号(1995年(H07)11月)-006page

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提言

 

戦争・敗戦-激動の中での

私の昭和史

福島県文化功労賞受賞者

山崎義人

 

来る前の東京在住時代は約十八年、合わせると五十年に及ぶ公務員生活である。

 

私の郡山在住は、今年で五十一年となった。その間郡山市図書館二十二年、定年退職後は市史編集室約十年、郡山に来る前の東京在住時代は約十八年、合わせると五十年に及ぶ公務員生活である。

そのなかで、戦前の時代が二十三年、戦後は二十七年(市史編さんも含む)となる。

昭和五十二年退職後は、自由業というか、悠々自適の身となって、その余暇を「街こおりやま」の同人に参加の傍ら、郷土史(地方史)をさらに研究調査し「街こおりやま」に「郡山の人脈」として長期連載(十五年)、郷土の歴史をわかり易くし、普及に努めた。

その間、多くの著書を執筆、編集し、その数三十五冊、うち定年六十歳以後の本は、二十四冊となった。

私の人生回顧はまさに「本」「本」との長い付き合いであった。本を通じて多くのよき友人、知人を得ることができたことは幸運であった。

ところで、私は本県岩瀬郡長沼町の田舎の農村で生れた。小学校時代は大正時代、「天孫降臨」という神話を国の歴史として教えられた時代である。しかし、その一方では、大正デモクラシーの思潮が、若い教師の間にも普及しはじめ、野口雨情作詞の童謡などが、その頃購入したピアノに合わせ歌われた。大正十三年、私は高等小学校を卒業すると上京した。大震災の余燼が残り東京は瓦礫の野原と化していた時代である。そして就職しながら学ぶという当時の農村出の若者の歩んだ道である。

以下私の歩んだ道を「私の昭和史」朝日新聞地方版に掲載された一文があるので再録する。

中学卒業は昭和四年、大正デモクラシーの余韻が残っていた。知人の紹介で宮内省という宮仕えをしながら大学の夜学へ。「改造」なんて新しい雑誌を隠れて読んだものである。(勤めの関係から)当時の宮内省図書寮(現在の宮内庁書陵部)に正式採用になり、そこで「皇国史観」を徹底的にたたきこま

 

 

 


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