教育福島0191号(1995年(H07)11月)-021page

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随想

日々の想い

ずいそう

 

物へのこだわり

星弘明

 

いという気持でまたしまってしまうのが常である。わたしはけちなのかと思う。

 

わたしは生来の物臭で、机の中はいつも乱雑である。時々整理を始めると、出るわ出るわ。錆びた画鋲・クリップ・ちびた鉛筆・使わない万年筆・ボールペン・錆びたナイフ。思い切って捨てようと思うが、なかなか捨てられない。捨てるのが惜しいというか、まだ使えるものを捨てるに忍びないという気持でまたしまってしまうのが常である。わたしはけちなのかと思う。

わたしの家にはもう使わなくなった物がいっぱいある。道具箱には錆びた釘・ボルト・ナット・古いヤスリ。たんすには、サイズの合わない背広・シャツ・スキーウェア・セーター。書斎の棚には、謄写版・やすり・鉄筆・臘原紙。倉庫には古いスキー。蔵の中はもう、古い物のオンパレード。おそらくこれらの物は、これからも使われることなくしまい続けられることだろう。思い切って捨てようかとも思うが、これらの物には一つ一つにその時々の思い出がまとわり付いている。物と一緒にその思い出まで捨ててしまうようで捨てられないでいる。

先日、町外れを散歩していたら小さな自動車修理工場の前に出た。何台かの車の中に一際目立つ車があった。何ともなつかしい五十年代のブルーバードである。ボディーは磨かれ、バンパーは鏡のよう、内装も新品同様だ。主人に聞いてみると、廃車置場から見つけてきて仕事の合間に復元したという。部品とてあるはずもなく、全て手作りで、鉄板をたたいて部品を作り、塗装をして車検も取ったとのこと。

「始めたら意地になってしまってね、なかなか良くできたと思うよ。これはだれにも売らない。徹夜までして直したんだから。」

誇らし気に主人は言った。物にこだわっている人がここにもいた。

日本の産業は大量生産。大量消費(使い捨て)が基本のようで、毎日のように新製品が登場し、いかにもあなたのは古い、遅れていると言わんばかりに宣伝される。消費者は、まだ使えるものでも新しいものに買い替える。そうして日本の産業は発展してきた。もし、日本中の人がわたしのように物を捨てるのに抵抗感をもつ人ばかりだったとしたら、日本の工業はここまで発展しなかったし、経済の発展もなかっただろう。

わたしの万年筆は十九年目、デスクペンは十年目、ワープロは八年目の現役である。新製品が欲しい気持もあるが、いずれ使えなくなったら、別に不便はないのだからと思う気持があってなかなか買う気にはなれないでいる。

(南会津教育事務所指導主事)

 

「メイクドラマ」

小玉昭男

 

。過日の郡の陸上競技大会もまさに子どもと教師の「メイクドラマ」であった。

 

今年のプロ野球の流行語の一つに「メイクドラマ」という言葉があった。この「メイクドラマ」という言葉はいわゆる造語らしいが、あえてこの言葉を学校現場に当てはめてみたとき、日々の教育活動すべてが子どもと教師で「メイク」していく「ドラマ」であるように思う。過日の郡の陸上競技大会もまさに子どもと教師の「メイクドラマ」であった。

本校は全校生百三十二人の小規模校であり、六年生二十六人のほとんどが選手として出場した。練習の過程では、全職員が何らかの種目の担当として指導にあたり、文字どおり全校一丸となっての大会参加である。

本格的な練習は大会約一ヶ月前から始まった。まだ夏の日差しが残る

 

 

 


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