教育福島0194号(1996年(H08)04月)-035page

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現代短歌の妙

福島県立保原高等学校教諭

五十嵐公一

 

ただ一人の束()を待つと

 

ただ一人の束()を待つと

書きしより

雲の分布の日々に美し

 

三国玲子の美しい歌である。

職業的教師経験なしで、東工大の教授となった著者は「井上靖全詩集」からの一つか二つの散文詩を解説なしで音読することと、右のような短歌の虫くいを漢字一字で埋めることで講義を開始する。翌週には正解、名解、迷解、珍解などを披露し、鑑賞し、「文学概論」の授業へと繋いでゆく。学生は歌の作者へと身を転じ、創造の苦しみ楽しみを味わいながら、動かすことのできない言語表現を求めなければならない。著者は逆に学生の求めた答から、学生の実態、恋愛を中心とした彼らの人生経験、考え方などを知ることができる。相互理解がおのずとはかられるのである。(右の歌の虫くい箇所には勿論「縛」の字が入る。「ただ一人の束縛を待つ」、つまり求婚に対する承諾の返事をしたのである。本当に美しい歌である。)

毎時間とり上げられる現代の短歌、目次には、愛、結婚・親子・夫婦、父母、命、先生、日本語、かなづかひ、恋・逢ひ、口紅、とらわれ、痛み、境涯、安住、不思議、平和、とあり、目次だけ見ても文学に対する巧みな道案内となっていることがみてとれる。たぶん創造的な授業の一つの形がここには存在しているのだ。知識を整理してまとめる力、人を感動させ、また驚かせる鑑賞ができる能力には唖然とするばかりである。偶然のこととはいえ、このような教師に恵まれ、文学に誘われた東工大の学生は幸福である。自らも授業を創造するために真に学ぶ力を持続してゆかねばと思う。繰り返し読み、現代短歌の持つ多様で美しい表現に東工大の学生とともに私は楽しい時を過ごすのである。

 

本の名称:青春短歌大学

著者名:秦恒平

発行所:平凡社

発行年:一九九五年三日一五日

 

「彼」と「さぶ」と「私」

福島県立盲学校教諭

大和田寿美子

 

初めて、中学生を担任して真摯に本と向き合う姿にどぎまぎしてしまいました。

 

盲学校に転勤して二年が過ぎました。長い間高校生を相手に、今話題の本の、そのまた上澄みをさらりと言って聞かせることがお洒落なものだと思ってきましたが、本校で初めて、中学生を担任して真摯に本と向き合う姿にどぎまぎしてしまいました。

彼は、中学部の三年生。どことなく自信なげな、心優しい全盲の生徒です。彼が弁論大会で、山本周五郎の「さぶ」について述べたい、と相談にきたのです。何と二年生の時に読んで以来一年近く、心の中で温めてきたものだとか。その夜、私は慌てて、書棚から埃だらけで紙魚(しみ)の這う「さぶ」を捜し出しました。

それから一ヵ月、「さぶ」を挾んで彼と私の話い合いが続きました。

なぜ、愚図で間抜けなさぶが本の題名なのか。僕も泣き虫だったこと。十五歳のさぶが、雨の中を泣きながら走る冒頭部分が僕の心から離れないこと等々。

少しずつ原稿が出来上がっていくうちに、さぶの弱虫で気のいい点だけが気に入っていた彼は、いつの間にか、下積みの生活の中で強く誠実に生きるさぶと、自分の姿を重ねるようになっていきました。作者が描こうとした世界を見事に捉えたのです。

そして、「さぶと私」という弁論題を引っ提げた彼は東北地区の盲学校弁論大会に乗り込んだのです。

自分の障害にはあえて一言も触れず、さぶと一緒に成長しようとした彼の弁論は、高く評価されました。帰りに天童駅前で彼と食べたケーキのおいしかったこと。

本当に久しぶりに真面目に本を読んだな、という出来事でした。彼は、今年度、本校の高等部に入学しました。しばらくは、私の「さぶ君」の成長を楽しみに見守ろうと思うこの頃です。

 

本の名称:さぶ

著者:山本周五郎

発行所:新潮文庫

発行日:一九九六年五月二〇日

 

 

 


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