教育福島0198号(1996年(H08)10月)-007page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

も不安感が大きかった気がします。

「オリンピックには魔物が住んでいるとか言うじゃない…」仲間と自然にそんな話をしたりしていました。

実際に肌で感じてきたオリンピックを「どうでしたか?」と訊ねられることが多いのですが、まず即答はできません。一言で表現できる言葉が見つからないからなのです。

「スゲェ所だよ!」と叫ぶのが一番近い感覚なのかも知れません。

選手村の食堂で隣に座るボスニアの選手との会話やルワンダの選手とのピンの交換、日本選手国内の仲間意識、その中に潜むかすかな羨望や侮蔑、村内に十メートルおきにいる米兵、群れをなす各国取材陣、「Hi!コンニチハ」と笑いかけてくれる人や、死者二名を出した不幸な爆弾テロ。試合が面白くなければ、会場の大画面モニターは容赦なく居眠りをしている観客をクローズアップし、逆に一〜二点を争う死闘を繰り広げれば三万人近い観客はスタンデイング・オベーションで笑顔と祝福を投げかけてくれます。

善意も悪意も至福もどん底もすべて入り混じる、この楽しき試練の場。国という既成の枠組みの中で、相容れない事情がありながらも同じ人間が同じ方法で自分の能力の限界に挑戦し、互いを磨き合うことで言葉によらない対話で語り合う素晴らしさを身をもって体験しました。オリンピックとは、純粋にそのような場であると信じたいし、そう在り続けて欲しいと切に願っています。多くの皆様からお寄せいただきました熱い御声援に、改めて心からお礼申し上げます。

 

【著者紹介】

アトランタ五輪代表選手

萩原美樹子・はぎわらみきこ

〔略歴〕

昭和四十五年 福島市生まれ

平成元年 福島県立福島女子高等学校卒業

〃 共同石油株式会社入社

(現…(株)ジャパンエナジー)

入社と同時に全日本メンバーに選出

二年 北京アジア大会出場 四位

二年 ユニバーシアード(イギリス)出場

四年 バルセロナ五輪世界予選出場

世界選手権(マレーシア)出場

六年 広島アジア大会出場 二位

世界選手権(オーストラリア)出場

七年 静岡アジア選手権兼アジア地区オリンピック

出場選考会出場 三位

アトランタ五輪の出場権獲得

八年 アトランタ五輪出場 七位入賞

 

 

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。