教育福島0198号(1996年(H08)10月)-024page

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なると言われている。

ところで、私には三歳の息子がいるが、善かれ悪しかれ、よく模倣をする。単純な音やことばの模倣を喜び、ほとんど繰り返しだけのものにも飽きることはない。幼児が模倣能力にすぐれていることは、人の音声をみごとに真似る事実からも明らかである。

そこで、私が息子に対して心がけていることは、第一に、自然で無理のない言語環境にさらすこと、第二に、言わんとするメッセージの内容に関心をはらい、その形式に対してあまりこだわらないこと、第二に、意味を理解しやすいように、できる限り多くの手がかりを与えてやること、等々である。そうすることにより、語彙が豊かになり、彼自身、ますます話してみたいという気持ちに駆られ、話すことへの喜びを感じているようである。

さて、日ごろの授業の中では、「生徒の誤り″教師の訂正(フィードバック)生徒の理解」というルーティンがおなじみであるが、話すという練習には少し別の気持ちで臨むようにしている。つまり、「話すこと」に徹し、生徒が話すそばから、やれ単語の発音やアクセントがおかしい、普通の疑問文なのに末尾を上げ調子で言っていない、などとコメントをなるべくしないようにしている。このような指摘が、生徒の話す意欲をそぐ原因となりかねないからである。むしろ、ごくおおざっぱな基準で臨んだ方が、活動がスムーズに進み、生徒もリラックスした気分で取り組むことができる。そして、私自身もその場に参加し、一緒に話す活動をもりたてていくように心がけている。

ともあれ、子供が自己の赤裸々な気持ちをことばに表すとき、彼らのもっている感情をすなおに出させ、「話す喜び」を味わわせたいものである。

(県立喜多方高等学校教諭)

 

豊かな自然の中で

鴫原正義

 

かけとして、できるだけ普段からみじかにカメラを持ち歩くようになりました。

 

私は昨年、風景画を描いたことをきっかけとして、できるだけ普段からみじかにカメラを持ち歩くようになりました。

それは突然美しい風景に出会った時、それを逃さず写真におさめ、後で風景画の材料にするためです。

美しい風景に出会うのは、特に車を運転している時に多く、そのようなときは、アングルに適したところに車を停め、すかさずカメラを構えます。しかし、使っているカメラはどこにでも安売りされているようなものですが…。

特に、夕日によって赤や澄に染められた雲はすばらしく、さらに雲の形が渦を巻いたり、波が岩にぶつかってできる水しぶき、あるいは手でほぐした綿のような形に変化し、普段決して見ることのないものに変貌したときは、とてもこの世のものとは思えないほど美しく、その美しさに感動と驚愕をおぼえます。

私は、それらの写真を用いて油絵を描こうと考えていますが、今のところなかな実行に移せないでいるところです。

そのような私が、現在勤めている学校は、熱海温泉がある観光と農業で栄える地域にあります。学校の周辺は美しい自然に囲まれており、よりいっそう空が美しく感じられるところです。

そんなすばらしい自然環境にひたっている生徒たちはというと、普段から見慣れていて、豊かな自然環境にどっぷりとひたっているせいか、そのよさを十分理解できないでいる印象を受けます。

人は生活環境の影響を受けながら感性、情操などが養われていくものですから、豊かな自然の中で成長してきた生徒たちのすばらしい感性を少しでも美術の授業の中で生かし、そのすばらしさに気づかせてやりたいと考えています。

この間は、校舎裏の木々が青々と茂る林で、スケッチブックと鉛筆をもって写生を行いました。すると、なにも指示しなくても自ら木々に触れたり、落ちている松ぼっくりを手に取ったりして、積極的に自然の造形的美しさに触れる姿が見られました。

さらに、足下にあるわらびなどを踏みつけて痛めないよう配慮することなどをとおして、生まれ育った故郷の豊かな自然を大切にする心を生徒たちと共に大切にしていきたいと思います。

(郡山市立熱海中学校教諭)

 

 

 


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