教育福島0201号(1997年(H09)02月)-006page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

提言

取り戻そう失われた日本

弁護士 元最高裁判所判事 橋元四郎平

 

んですよ。」と教えているのを見た。子供の親ではなくてその女性が、である。

 

かつて、ドイツのハンブルクの街上で、母親が行儀のわるい幼児の尻をたたきながら叱っているのを目撃したことがある。また、パリの喫茶店で、経営者の夫人が、客の子供にアイスクリームを与えたが何もいわないので、「こういうときは、有難う(メルスィ)、マダム、というんですよ。」と教えているのを見た。子供の親ではなくてその女性が、である。

日本ではどうであろうか。

あるときのこと、新幹線のグリーン車で子供が大声をあげながら駆けまわっているのを制止しないで放任している若い母親に、たまりかねた老紳士が、「奥さん、静かにさせなさい。」と注意したが、その母親は平然としてこれを無視し、何の対応もしなかった。また、レストランで、若夫婦と子供が、あたりかまわず大声で騒ぎながら食卓を囲んでいる無神経な有様は、珍しいことではない。電車で、立っている年寄りを尻目に、若い男女がシルバーシートを占領しているという光景も、日常よく見るところである。

以上の例からわかるように、ヨーロッパでは、親はもとより、一般に地域社会の大人が、子供に対する躾をキチンと行っている。これに対して、現代日本では、躾や家庭教育の不在、子供の甘やかし、その延長としての若者の社会的自覚の不足、さらには、家庭と区別された公共空間という観念の欠如等目に余るものがある。

それでは、昔の日本はどうであったのか。新渡戸稲造著「武士道」によれば、「外国人旅行者は誰でも、日本人の礼儀正しさと品性のよいことに気づいている。」そして、「『人に笑われるぞ』『対面を汚すなよ』『恥ずかしくないのか』

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。