教育福島0201号(1997年(H09)02月)-007page

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【著者紹介】

橋元四郎平・はしもとしろうへい

〔略歴〕

大正一二年四月一三日生 福島県田村郡三春町出身

昭和一六年 三月 県立田村中学(旧制)卒業

一八年 九月 第二高等学校(旧制)文科乙類卒業

(昭和一八年一二月から同二〇年九月まで学徒出陣により兵役に服す)

二三年 九月 東京大学法学部政治学科 卒業

二七年 四月 司法修習生(第六期)

二九年 四月 弁護士登録(東京弁護士会所属)

四九年 四月 最高裁判所司法研修所教官(民事弁護)

五二年 六月 東京弁護士会司法修習委員会委員長

五三年 四月 東京都地方労働委員会公益委員

五六年 九月 東京弁護士会弁護士倫理委員会委員長

同年 一〇月 東京都地方労働委員会会長代理

五七年 四月 日本弁護士連合会理事

五八年 五月 民事訴訟法学会理事

六一年 四月 日本弁護士連合会事務総長

法制審議会幹事

検察官特別考試審査会委員

最高裁判所民事規則制定諮問委員会委員

最高裁判所家庭規則制定諮問委員会委員

平成 二年 一月 最高裁判所判事

五年 四月 弁護士名簿登録(東京弁護士会所属)

同年 五月 福島県顧問(会津大学法律問題委嘱)

同年 六月 財団法人民事紛争処理研究基金常務理事

 

などということばは過ちをおかした少年の振舞を正す最後の切札であった。(1)

さらに時代を溯ると、一五六二年(2)に来日して三十五年間布教に努めたポルトガル人のイエズス会宣教師ルイス・フロイスの「ヨーロッパ文化と日本文化」によれば、「われわれ(ヨーロッパ)の子供はその立居振舞に落着きがなく優雅を重んじない。日本の子供はその点非常に完全で、全く賞賛に値する。(3)」のであった。

どうも終戦後、事情は一変したようである。忌憚なくいえば、敗戦は、多くの貴重なものをもたらした反面、日本人の根本にあった精神的なものを、この五十年の間にほとんど失わせてしまったのだ。少なくとも昭和三十年までは存在していた「規範」や「価値の基軸」が、根こそぎ否定されたといってよかろう。

しかし、慨嘆ばかりしてはいられない。いかなる時代も永久不変ではない。時間をかけてでも、希望をもって、改善していくほかはないであろう。

本来、日本人は、聖フランシスコ・ザビエルによれば、「今までに発見された国民のなかで最高であり、(中略)驚くほど名誉心の強い人びと。(4)」であるのだから。

 

注(1)奈良本辰也訳 五三ページ及び七二〜七三ページ

(2)永禄五年、室町幕府十三代将軍足利義輝の時代

(3)岡田章雄訳 六六ページ

(4)司馬遼太郎「この国のかたち」(二) 二三六ページ

 

 

 


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