教育福島0206号(1997年(H09)10月)-032page
心に残る一冊の本
一日読まざれぱ言に味なし
元梁川小学校長
齋藤善二
曝暑の頃になると、先人の善さや美しさを思う心が感じられるのは不思議なことである。ただ、無為に過ごした時が惜しまれる。
梁川小学校での三年間は、先生方と共に、学ぶ苦しさと楽しさを存分に味わった日々であった。
校長室は、初任研や各種研究会と自主勉強会の場所であった。
県教委の刊行物を主たる資料とし、「善の研究」「善さの構造」「エミール」「論語」「老子」「正法眼蔵」等々を資料としたり、話題ともして、学び合ったことが懐しく思い出されるのである。
また、教師の心得として、新井石禅書「重厚堅實」の誠実と堅固な精神は大切なものと考え、日々の授業や反省を通して研修を深め合ったものだった。
平成三年六月二十六日、学校訪問の際、県北教育事務所指導課長宮前先生から過分なお誉めのお言葉を頂載した。
学ぶ心がより高まることは、人間的な成長に欠かせないことであろうし、共感していただいたことに、今でも有難く感謝している。
日常の勤務や晩節を全うする時、「出生入死 道業随流 転身一路 月白雲幽」という石禅師の遺偈は心を洗ってくれるものだったし、「一日読まざれば言に味なし」と言わった先師が心の支えであった。
退職間近の平成三年の夏休みから、今泉忠義訳を手引きにして、「源氏物語」の原文を読み始めた。人間的完成や生死の間題について、日本人の心の源流をたどってみたかったからである。
一冊にまとまった原文を心ひそかに求めていたものであった。
平成四年四月、阿部秋生校訂「完本 源氏物語」を手にすることができた。この秋にまた読み始めるが、来春まではかかるだろう。
読書好きな亡き父の俳友であり、私どもの恩師であられる田口秋光先生の句を掲げて筆を擱く。
日本語が涼しや源氏物語
本の名称:阿部秋生校訂
完本 源氏物語
著者名:紫式部
発行所:小学館
発行年:一九九二年四月十日
本コード:ISBN 四-〇九-三六二〇三一-八
面白いからでは議論にならない
南会津教育事務所指導主事
渡部岩男
裏表紙に「1973・3・25 19歳」と記してあるから、その日が「ガン病棟」一回目の読了のはずだ。それが初めての私の読書体験となった。最初の読書体験がロシア文学だったことは、その後の読書傾向に大きく影響した。
まず「耐えて読む」という習慣が身につく。ロシアの本は、登場人物名を覚えるだけでも大変だ。途中で中断すると、この名前は誰なのか、男なのか女なのか、それとも地名なのか分からなくなってしまう。しかし、一度読み終わると「耐えて読むこと」がやみつきとなる。ソルジェニツインからドストエフスキーへと深みに入り込むことになっていく。
次の文は、その当時引いたサイドラインの一節(一部抜粋)だ。「ガン病棟」の中で老人シェルーピンが学生のヴァジムに尋ねる。
「何の必要があって、そんな学問をしなければならないのだ。ほかでない、その学問を?」
「面白いからですよ」
「面白いからでは議論にならない。普通の商売だって、結構面白いのだ。金を儲け、金を勘定し、財産を増やし、設備を拡張する−これだって面白いのだ。そういう説明をしている間は、科学はエゴイスティックで不道徳な一連の仕事の上に出ることは決してできないのだ」(略)
私はこの「面白いからでは 」というやりとりが今でも気にいっている。面白いこと・楽しいことを追求するのは悪いことではないが、悪いことではないからといってその全てが善いことにはならない。それを「善い」として追求してきた結果が現在の地球環境の破壊・道徳意識の喪失等に表れてきているとはいえないだろうか。
何が面白いかは人さまざまであるが、読書も単に面白いだけじゃつまらない。面白くなくても善いものは善いのだ。時には耐えて読むことも大切だと思っている。
本の名称:ガン病棟
著者名:ソルジェニツイン
(小笠原豊樹訳)
発行所:新潮社
発行年:一九六九年二月十日
本コード:なし