教育福島0208号(1998年(H10)01月)-044page
教育ひと口メモ
法律からみた成績の評価
教諭が学習指導を効果的に行うには、生徒一人一人の進歩や変化の度合いを十分に測定する必要があります。その測定活動が評価ですから、評価は学習指導においてきわめて重要であり、教諭の職務として欠かせません。ところで、評価といえば、およそ法律などとは縁のうすい分野と思われますが、評価も法律と無縁ではありません。
一 評価の権限
評価をめぐる法律問題を考えるにあたっては、まず評価をする権限が、だれにあるのかからみていく必要があります。
評価の権限がだれにあるのかを直接定める法令の規定はありませんが、学校教育法第二十八条第三項で「校長は、校務をつかさどり」と規定している「校務」には評価のことも含まれていると解されており、同条第六項で「教諭は、児童の教育をつかさどる」という規定の「教育」に評価が含まれていると考えられます。
ところで、一部においては、生徒の教育の内容及び方法については、実施にあたる教諭が、教育専門家としての立場から保護者に対し直接責任を負う形で教育の内容及び方法を決定し実施する自由あるいは権利を教諭は有しており、これに教育委員会や校長が介入することは許されないというた主張がなされたことがありました。
しかし、このような主張が何ら法的根拠のない誤ったものであることは、昭和五十一年五月二十一日の最高裁判決(永山中学校事件)において、明確に判示されています。
教諭の教育の権限が、なにものにも制約されない自由あるいは権利といったものではないわけです。
もっとも、実際の教育に携わる教諭の自主性や創意工夫を大切にすることは、当然必要なことであり、教育委員会や校長の過度の干渉は慎むべきですが、これはあくまでも事実上の配慮であり、法的な問題ではありません。
法律的には、評価を行う権限は、第一次的に教諭にあるといえます。なぜなら、指導と評価とは表裏一体の関係にあるからです。教諭に「教育をつかさどる」権限がある以上、評価をする権限も含まれると考えられるからです。しかし、それは最終的には校長の責任において行われるべきものです。
なぜなら、学校は組織体として公教育を行っているわけですから、学校における教育活動は個々の教諭の個人的な活動ではないわけです。個々の教諭の評価も校務として行われているのであり、最終的には校長が責任を負うことになるからです。
指導要録や通信簿に担任の印とともに、校長の印を押すわけは、そこに書かれている評価が校長の責任で行われたものであることを意味しています。
二 評価をめぐっての判例
評価の最終的責任は校長にあるわけですから、もし個々の教諭の行う評価が客観的に適切でないと認められる場合は、校長はその是正を命じなければなりません。是正を命じても教諭が応じないときは、校長がみずから評価をする場合もあるし、校長の命令に従わなかった教諭は、法令違反として責任が問われることになります。
かつて伝習館高校事件では、教諭が一律六十点評定をしたことが問題となり、その当否が裁判で争われました。
判決は「生徒の成績評価は教師の権限に属するが、教師の恣意的、独善的な行使が許されないことは教育原理に照らして首肯し得る」としたうえで、「全生徒に対する六十点の評定は教育的配慮を欠き、真の意味の評価がなされたとは見ることができず、成績評価権の恐意的な行使として地方公務員法第二十九条第一項第二号の職務を怠った場合に該当し、懲戒処分の対象となる」(昭和五十三年七月二十八日、福岡地裁判決)と判示し、一律評価が違法であることを明らかにしました。