教育福島0211号(1998年(H10)06月)-041page

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変えるために変わらないこと

西郷村立羽太小学校長

中畑満

 

深雪せる野路に小さき沓の跡

 

深雪せる野路に小さき沓の跡

われこそ先に行かましものを

「林芋村」のこの歌と出会ったのは、木川達爾氏の著書である。長野県が教員採用試験の受験者に歌の意味を問うたこと、加えて氏の思いが詳述されていた。

「林芋村の生涯」を平谷村教育委員会が公刊したのは平成三年十月。「山の子どもにいのちをかけた林芋村『われこそ先に』」と題したその本は、それから間もなくして手にすることができた。

芋村は雅号、本名は芳弥と呼んだ。近衛兵の除隊後、役場の吏員に雇われていた。が、大正二年四月、教員の足りない信州の僻地校の教員に乞われる。

二十八歳の代用教員は老母を背負い、青雲の志を胸に、標高千メートルに近い新天地に赴任する。村有地の原野を譲り受け無一文の彼は、山小屋風の家を自分で建て仙人のような暮らしを始める。

開墾地に麦や馬鈴薯などの作物を栽培し食料を補う一方、桑を植え蚕も飼う。赤貧の生活の中、十六年間を、純粋にひたむきに、子供の教育に打ち込む。だが、不運な事故で生涯を終えるのである。

春雨の煙れる中に白々と

向かひの山にこぶし咲く見ゆ

一日の業をなし終へて鍬洗い

足洗うなり夕顔白し

安月給から書物を求め、万葉集や古典を愛読する一方、労作を尊び、自然を慈しむ芋村であった。そのみずみずしい感性と情の厚い涙もろい、感激家の彼は計り知れない感化力を及ぼすようになる。

教師が変われば、子供は変わる。子供が変われば、学校は変わる。学校が変われば、家庭や地域は変わる。二十一世紀の教育改革はこの論理を欠いては始まりようがない。その教師はどうあるべきか。今、忘れかけている原点をこの本は思い起こさせてくれる。

零度以下二十幾度の雪の朝

一年の子の泣きつ来りし

 

本の名称:われこそ先に

著者名:平谷村教委員会

発行所:長野県下伊那郡

平谷村平谷教育委員会

発行年:一九九一年十月一日

 

澄む心

県教育庁義務教育課指導主事

◆田祐子

 

「お母さん、今日のご本ね」

 

「お母さん、今日のご本ね」

布団に入り、二人の娘たちに囲まれてそれぞれが選んだ絵本を読み聞かせするのが、我が家の就寝前の日課となっている。歩き始めた息子のいたずらに娘たちと奇声を上げながらも心和む一時である。

「からすたろう」は、最近文字が読めるようになってきた二番目の娘が、不思議そうに抱えてきた絵本である。ページをめくるたびに娘の「どうして?」が続く。

「どうしてこの子かくれてるの」「どうしてこの子お話しないの」「どうしてこの子一人なの」…。その一つ一つの問いに上の娘と一緒に考えていく。

この絵本の主人公“ちび”が磯辺先生と出会い、クラスの中で次第に存在感をもってくると、娘たちの表情は期待に満ちてくる。学芸会の場面では、からすの鳴き声を身近な家族に例をとりながら“ちび”になりきってまねるのである。

「赤ちゃんからすはター君の声ね」「お母さんからすはお母さんの声ね」そうして、娘たちは私の両腕につかまりながら、私がまねる“ちび”が住む遠いお山にいるからすの声に耳を澄ます。

担任の磯辺先生は“ちび”のありのままの姿を自然体で受け止め信頼関係を築いていく。そして、周囲にも“ちび”の存在を強く印象づけていく。先生の機会をとらえた的確な指導に胸がすく思いだ。さらに、“ちび”や先生の思いを受け止めた周囲の子共たちや地域の人々の心の交流に、私の心も温かくなる。卒業時には皆勤賞を受け取り、その後も自信をもって生きる“ちび”の姿に改めて教師のかかわりの大切さを感じる。

我が子に布団をかけ、寝顔を見つめながら、我が子とともに、全ての子供たちが自分らしく、そして、たくましく成長してほしいと心から願う。

「からすたろう」の絵本を読む時、母として、教師としての自分を振り返り、心が澄むのである。

 

本の名称:からすたろう

著者名:八島太郎

発行所:偕成社

発行年:一九七九年五月

本コード:ISBN 四-〇三-九六〇〇四〇-一

 

 

 


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