教育福島0212号(1998年(H10)07月)-023page

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随想

日々の想い

ずいそう

 

三文…

林尚

 

聞くことがある。こういう時私は胸を張って「私もそうなんですよ」と答える。

 

保護者との会話の中で、「うちの子はおばあちゃん子でして…」という言葉を聞くことがある。こういう時私は胸を張って「私もそうなんですよ」と答える。

父の兄弟は五人である。早く寡婦となった祖母は、女手一つで子供たちを育て、五人すべてに大学教育を受けさせている。子供たちすべてが郷里を離れたこともあり、祖母は私の小学校入学を機に双葉から福島にやってきた。

夏休みや冬休みには、姉と私を戸を締めたままにしていった田舎の家に連れていってくれた。そこで孟宗竹を切り倒して三脚と物干し竿を作り、布団を干した。そして、きれいな水になるまで井戸水を汲み出し、薪を集めていろりに火をおこすといった生活を体験させてくれた。

そこで様々な話を聞かされ、色々なことを教えられた。「本当に?」と聞くと「嘘と坊主の頭はゆったことがない」と言って笑っていたものだった。

なかでも未だに鮮明に思い出すことがある。風呂が壊れてやや離れた本家に風呂をもらいに、夜出かけたときの帰り道。私たちは盆提灯を下げて、月の出ていない夜道を歩いていた。蛙の声と虫の音、自分たちの足音が混じって何かが近づいてくるような錯覚と、ゆれる提灯の明かりとあたりの間に、怖がりの私は祖母の袖をぎゅっと握っていた。すると、祖母が「こわいかい。へびもおばけもこちらが何もしなければ悪さはしないんだよ。いいかい、本当にこわいのは人間なんだよ」と言った。

郷里を離れ、東京で一人暮らしをし、関東大震災にあい、戦中戦後を生き抜いてきた祖母の言葉であった。

齢九十を越え、曾孫を抱き、その存在を曾孫の意識に残すと、祖母は常々望んでいた通り長く病床に就くこともなく、四年前の朝、突然にみまかった。

実家に立ち寄り焼香する度に、「人間が一番怖い」と言い、「人様の子供を預かるのだから、しっかりやらないといけないよ」とも言っていたことを思い出す。

人間が一番怖い存在とならないよう、日々努力をしていきたい。

そして、巷での風評に対し、三文(さんもん)分を稼ぎ出すべくかんばろうと思っている。

(福島市立福島第一中学校教諭)

 

諸葛亮(孔明)について思うこと

品竹康雄

 

、「天下三分の計」を述べ、ともに漢王朝の再興をめざすというくだりである。

 

『三国志』の劉備と諸葛亮の出会いの部分は、「三顧の礼」として有名で、読者を魅了して止まない。諸葛亮は、三度にわたる訪問で劉備の誠実な礼を尽くす姿に惚れ、「天下三分の計」を述べ、ともに漢王朝の再興をめざすというくだりである。

この出会いにより、諸葛亮は、自分の才能を十分発揮できる主を得たわけである。しかし、なぜ漢王室の血を引く以外にこれといったバックボーンを持たない、劉表に寄食する劉備に自分の人生を賭けたのだろうか。臥竜と評された聡明な彼であれば、出会い後に実

 

 

 


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