教育福島0212号(1998年(H10)07月)-024page

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行していく「天下三分の計」での漢王朝再興は、曹操に対する義憤や劉備に対する敬慕からだけではじまったのではない、と考えた方が自然ではないか。

諸葛亮が劉備に出会うころの中国は、曹操が名族で華北の雄を誇った◆紹を破り、華北をほぼ統一した勢いで華中・華南を併呑しようという状況であった。まさに曹操による天下統一が、まもなくという感があった。諸葛亮にとって見れば、叔父とともに荊州に移り住み、晴耕雨読し、学友と天下の情勢を研究し、雄飛の機会を待ち望んでいた。それなのにこのままでは曹操により天下が定まり、自分の活躍の機会が失われてしまうと危機を抱いたのだろう。早急に曹操、孫権に次ぐ第三極の勢力をつくり、互いにもつれ合い統一へと向かわない状況を作り出す必要があった。このことは、彼の一族の活躍の機会を保障することでもあった。もともと山東の瑯邪出身の諸葛氏には、魏国に仕官した者も多い。また、彼の兄も呉国に仕えていた。戦乱が続けば、主君は家柄にこだわらず有能な士を登用しその意見を尊重する。一族の者が敵同士になるデメリットもあるが、個々の主君に忠誠に仕えることにより瑯邪の諸葛氏の名声と評価は上がることになる。

当時、家格が重要視され、官職や俸給が決定される門閥貴族社会が形成されつつあった。その入口に三国時代はあたる。前漢に司隷校尉となった諸葛豊を祖先に持つ瑯邪の諸葛氏は、三国時代に名族として評価を不動のものとする。危険を冒しても劉備に仕えた諸葛亮のねらいには、一族の名声を上げることあったのではないか。

(県立福島南高等学校教諭)

 

飛行機

植松幸恵

 

「先生の趣味は何ですか」

 

「先生の趣味は何ですか」

英語の教員になってから、毎年自己紹介の時期になると繰り返し生徒から聞かれる質問である。そして私は聞かれるたびに何と答えようか迷ってしまい、結局はマニュアルどおりに無難な答えで済ませてしまう。

私の趣味は少し変わっている。趣味と呼べるかどうか分からないが、私は飛行機を見るのが好きなのだ。空高く飛んでいるものもいいが、近くで見るものはもっといい。

私の勤務校のある棚倉町は、福島空港から車で四十分のところにある。二年前、棚倉町に赴任して感じたことは飛行機がとても近くを飛んでいるということであった。毎夕、部活動が終了する時間になると、今にも手の届きそうな高さを飛行機が力強く飛んでいく。私は、空にあの低音が響くと、どんなに曇っていても思わず空を見上げてしまうのだ。

私が飛行機に魅了され始めたのは、物心ついた頃だった。母の実家が千葉県にあるため、よく成田空港に連れていってもらっていた私はいつからか、飛行機が雄々しく飛び出す姿に心が惹かれるようになった。

飛行機は私たちと空の向こう側の世界とをつないでくれる。飛行機に乗れば、地上からしか見ることのできなかった自分たちの町や村を、空の上から眺めることができる。下からしか見上げたことのない雲を、上から見下ろすこともできるのである。飛び立つ飛行機を見ると、何だか自分までもがその向こう側の世界へ行けるような気がしてワクワクするのだ。

私が生まれ育ったのは、会津盆地の中の小さな町である。そこから見上げる飛行機は、いつも空高く飛んでいて、とても遠い存在に感じられた。

「井の中の蛙大海を知らず」ということばがある。会津で育った井の中の蛙が、大海である外の世界に目を向けるきっかけを作ったのは、幼いころに成田空港で見た飛行機だったのかもしれない。ただ眺めるだけの飛行機であるが、私にとっては心を和ませてくれる存在なのだ。

来年の春、また自己紹介の季節がやってきたら、今度は本当の趣味を答えてみようと思っている。

(県立東白川農商高等学校教諭)

 

 

 


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