教育福島0213号(1998年(H10)09月)-023page
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随想
日々の想い
ずいそう
欅の森で
水谷由克
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教育相談の講義のため、週二回福島大学を訪れている。
講義は、児童生徒の問題行動について、その原因や背景を探り、対応を実践的に学んでもらうものである。将来、教師を目指す教育学部の学生が真剣に講義に参加している。
講義の中で、私はいつもある問題にぶつかる。学生たちと「いじめ」や「不登校」について考え、「揺れる子供の心」に迫ろうとする時、どうしてもその核心への道筋が途絶えてしまうのである。その結果、子供たちと触れ合う機会の少ない学生たちの理解は、体験的に学ぶことの難しさから、観念的なものになってしまいがちである。
教育センターでの研修講座で、「いじめ」や「不登校」について話す機会がある。研修者は、自分の体験を辿りながら、私の話を興味深く、しかも真剣に聞いてくれる。これは、研修者が子供とのかかわりの中で「いじめ」や「不登校」の問題に直面し、「子供の心」を共感的に理解しているからだと思う。
体験し実感することは、生きた知識を生み、思考を発展させ、深い理解を生むものである。
振り返ってみると、学生たちへの私の講義は、もっと学生自身の体験の浅さに目を向け、時間をかけて語り合う作業が必要だったように思う。講義の中で、学生たちの「子供の心」に迫る道筋がなぜ途絶えてしまったのかが分かったような気がする。
大学の講義に限らず、広く教育活動の中で、子供たちの体験や実感を掘り起こし、積み重ねる活動にもっと積極的に取り組んでいかなければならない。このことは単に授業内容の改善や工夫といったレベルで解決する問題ではないはずである。「子供たちが学ぶ」ということをもう一度根本から考えてみる必要があるように思えてならない。
今年も、大学構内の欅は一段と輝き、鮮やかである。講義の行き帰りに構内で話しかけてくる学生や、研究室にやって来る学生たちは、若々しくエネルギッシュである。この欅の森で、教師を目指す学生たちと、「揺れる子供の心」を自分自身のことのように見つめ、語り合おうと思う。
(県教育センター主任指導主事)
インターネット体験
関根勝志
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平成九年七月に我が家にはじめてインターネットがつながった。
プロバイダーから、個人用のパスワードをもらって、恐る恐るつなげてみた。
「ギー、ギー」
という聞き慣れない音と共に、画面がつながった。
英語ばかりが並んでいる初期画面。自動的にアメリカのネットス
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