教育福島0213号(1998年(H10)09月)-024page

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ケープ社のホームページにつながってしまうのだ。

はじめは、何もわからずその画面から、検索エンジンを探し、日本語のページに移るまで一時間もかかってしまった。だんだんとインターネットの使い方に慣れるとこんなに簡単だったのかと後でがっかりすることが多い。

やっとの思いでつながったインターネットだが、情報の膨大さに圧倒される毎日で、始めてしまうとアッという間に時間が過ぎてしまう。一カ月後に電話代が請求されびっくりしてしまった。考えて使わないと後で後悔することがよくわかったので、時間を考えて使用している。

さて、インターネット情報をどのように活用しているかというと、直接子供たちがコンピュータに向かって探し出すと情報発見の楽しみがあって良いのだが、残念ながら本校にはつながっていないので、その楽しみをなんとか味わわせたいと思い工夫している。

五年生の米づくりの授業で、秋田県の大潟村の農協のホームページ「お米ができるまで」をカラー印刷し、それをコンビニのカラーコピーで一枚五十円で拡大して、廊下に掲示し、調べ学習の一つの資料として活用した。子供たちは一緒にあった各県の銘柄米に興味を示し、意欲的に調べていた。

また、各県の気候の違いをホームページで学んだりしている。

カラーコピーは、案外インターネットの世界を子供たちに近付ける役目を果たしている。ビジュアルであることが興味を高めているのだ。

今年は、自分でホームページを作りたいと考えている。須賀川市の産業などを紹介できればと夢を描いている。

常に新しい情報に敏感な教師でありたいと思う。新しい世界を子供たちにたくさん提供していきたい。(須賀川市立第一小学校教諭)

 

無我夢中

三瓶イツ子

 

黷オさで弾むK子からの電話。よかった。私も家中に聞こえる声で褒めたたえた。

 

「先生、高校に合格しました」とうれしさで弾むK子からの電話。よかった。私も家中に聞こえる声で褒めたたえた。

K子は、小学一、二年と担任したが、二年生になって間もなく発熱という理由で登校しなくなった。

休み始めて一週間が過ぎ、家庭訪問をした。その時のK子は今までに見たこともない鋭い目とこわばった表情をしていて、玄関先で一瞬立ち止まったほどであった。相当重症であることを感じながら、身の引き締まる思いがした。

また、K子に対して自分がどう接し、学級の子供たちにどう理解させ関わらせるかなど、迷いの連日だった。そこで校長先生に、県教育センターの教育相談部で相談したい旨をお願いしたところ「納得するまで通いなさい」と心強い支持をいただき、相談に伺うこととなった。

K子の不登校の要因やこれからの対応の仕方など指導を受け、必ずうまくいくと確信して帰途につくこともあった。しかし、そう簡単に回復するものではなく、解決の難しさを思い知らされた。

K子は、母子分離が不安定で社会性が育っていなかった。幸い、両親が学校や教師を信頼し協力的であった。そこで、母親に地域の人々との関わりをもち、家庭内でも両親、祖父母の関わりを直していただくようにした。また、放課後の登校や家庭訪問、級友とのふれあいの時間を設けるなどの工夫もした。自分の娘と年齢が近いことから自分の家に連れてきて、近くの公園で遊ばせるなど、家族まで巻き込んでなんとかしなければと……。無我夢中で取り組んできたように思う。

その後、自分から登校できるようになったのは、六年生の三学期

 

 

 


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