教育福島0217号(1999年(H11)02月)-038page

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心に残る一冊の本

 

平山郁夫の世界に魅せられて

県立清陵情報高等学校教諭

吉田美代子

 

も暖かさや慈愛、優しさを感じていた。それはいったい何から感じられるのか。

 

十代の頃は西洋画の線の太い強烈なタッチに憧憬の念を抱いていた。が、いつの頃か静諮で清澄な日本画に魅せられるようになった。その中でも平山郁夫の絵に出合って、心洗われる一時を得るようになった。風韻豊かな仏教東漸やシルクロードの世界に接して、いつも暖かさや慈愛、優しさを感じていた。それはいったい何から感じられるのか。

その糸口をつかんだのは、偶然書店で見つけたこの本からであった。題の示す通り、筆者が東京美術学校(現東京芸術大学)を受験する十五歳から三十代までの自伝だが、そこに彼の生き方、考え方が網羅されていた。旧制中学三年の時広島で被爆し、二十代後半には原爆の後遺症による苦しみと画家としての行き詰まりが重なり、見えない将来に悶々としていた日々があったこと。その苦悩から画家として進むべき道に開眼したことが書かれている。

大叔父に「技術だけで教養が伴わなければ、芸術家や作家になれない。なぜなら、自分で考えるだけの教養がなければ、ものは生みだせない」と教えられ、手当たり次第がむしゃらに勉強した。「この時得た歴史や仏教に関する知識が非常に役立った。一見無駄な勉強も長い目で見れば、決して無駄にはならない」と書いている。そして得たことは「ものを生みだせるのは、優しさや思いやりを感じられる人間だけだ。他人に対する真心や思いやりがなくて、人を感動させられるはずがないし、逆に言えば真心があれば相手に自分の思いは伝わる。そういう人間性こそが、人に感動を与えるべき芸術家にとって最も大切だ」と言っている。

自らの体験を通して書かれたこの文章には説得力がある。深い感銘を受けた。同時に平山芸術のふところの深さと素晴らしさを改めて思い知らされた。

 

本の名称:私の青春物語

著者名:平山郁夫

発行所:講談社

発行年:一九九七年四月九日

本コード:ISBN 四-〇六-二〇八六四七-六

 

広くて深い世界

県立梁川高等学校教諭

佐藤達男

 

して、どの辺りで影の正体に気づいたかという話で盛り上がったこともあった。

自分の本棚には、『ゲド戦記』の四巻が並んでいる。最初に読んだのはその第一巻で、大学生時代に、おもしろいから読んでみろと友人に言われて手にした。冒険物としてわくわくしながら読めたし、無意識についての入門書を下敷きにして、「なるほど、こういう意味として読めるのかになどと解釈しても楽しめた。家庭教師で教えていた中学生にこの本を貸して、どの辺りで影の正体に気づいたかという話で盛り上がったこともあった。

その本を最近読み返してみて気づいたのだが、大学生の頃の自分は、影を呼び出してしまうゲド(主人公)に対して、高慢な男という印象をそれほど抱いていなかったようだ。だから、彼が呼び出してしまったのは、なぜ影なのかということを考えもしなかった(今、この問いが浮かぶから、振り返る事ができたのだが)。

今の自分には、この問いの答えをしっからと言葉にすることはできないが、ゲドと影との戦いの過程のすさまじさをどれだけリアルに感り取ることができるかということの中にヒントは隠されているような気がする。心の奥底の事はイメージでしか語れないと物の本で読んだが、だとするとこの戦いの過程は、影と戦う人の心の描写として理解できるはずだ。そこを十分に味わい尽くせもしないのに、解った気になりたがる自分に、影を呼び出してしまう高慢さに近いものをちらりと感じてしまう。

四巻に渡って繰り広げられる世界全体を見渡そうとすると、その広さと深さに圧倒され、また今の自分が引っかかっている問いの小ささにも気づかされてしまう。何年か後の自分が何に興味を示すのかは知らないけれど、その部分もこの本の中には用意されているようにさえ思える。この本を書き上げた作者と、第一巻を薦めてくれた友人に感謝。

 

本の名称:影との戦い ゲド戦記1)

著者名:ル・グヴィン

発行所:岩波書店

発行年:一九七六年九月二四日

本コード:ISBN 四-〇〇-一一〇六八四-一

 

 

 


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