教育福島0219号(1999年(H11)6月号)-023/52page

[検索] [目次] [PDF] [前][次]

随 想

日々の想い

ずいそう

日々の想い



日々、勉強

津 田 宗 人

津田宗人

安達郡東和町の小学校を振り出しに、四校の小学校を経験し、本年度で教職十七年目になります。

初任校は、職員の年齢構成が若かったこともあり、和気あいあいとした家族的な職場でした。右も左も分からない私に、一つ一つ丁寧に指導してくださった先生方に感謝しています。担任した子供たちはもちろんのこと、全校児童、全保護者とも打ち解け、毎日学校へ行くのが楽しくて仕方がありませんでした。学校の裏山で栗拾いやそり滑りをした思い出が鮮明に残っています。

次に猪苗代町の小学校に勤務しました。スポーツがとても盛んな学校で、クロスカントリースキーでは県内の古豪の一つでした。初めて細いスキーを履き、一歩も前に進めなかった時に、子供たちが熱心に手ほどきをしてくれました。いつまでたっても上達しない私に優しく声をかけ、励ましてもくれました。また、全く未経験のミニバスケットボール指導の顧問になり、町内の中学校へ教わりに出かけたこともありました。周りの多くの人から、私の知らないことをたくさん勉強させていただいた五年間でした。

三校目に、会津若松市内の大規模校に勤務しました。それまで単学級の経験しかなかったので、学年で仕事を進めることのたいへんさと大切さを感じました。また、授業研究で有名な学校でもあり、授業づくりを根本からたたき直されました。年四回の授業研究に向けて指導案を作りますが、必ずといっていいほど真っ赤に訂正された指導案が返ってきました。三回も四回も書き直し、授業を甘く見ていた自分の力のなさを痛感させられました。しかし、教師という仕事の中で、決しておろそかにてはいけない授業について勉強すよい機会でした。

教師の仕事はこれで終わりということがありません。子供たちにたくさんのことを学ばせるためには、自分が勉強しなければならないと思います。これまで勤務した学校にはたくさんの思い出がありますが、今思うと、一日一日、一年一年が勉強でした。

現在、四校目の小学校に赴任してまだ数ヵ月ですが、ここではどのような勉強ができるのか、今から楽しみです。

(湯川村立勝常小学校教諭)




入学式に出席して

武 田 幸 子

武田幸子

四月八日、私の母校でもある娘の高校の入学式に出席した。そして、私は遠い日の私と今は亡き母の姿をだぶらせていた。桜と椿の花が咲いていた道を母と歩いた記憶がある。

当時の私は、マリー・キュリーに憧れ、科学者になることを一途に夢見ており、自分のことに夢中で、自分のことしか考えられず、母がどんな思いで私に接してくれていたか考えたこともなかった。

若い頃の母はデザイナーになろうと、警視庁に勤めていた叔父の


[検索] [目次] [PDF] [前][次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。