教育福島0219号(1999年(H11)6月号)-024/52page

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もとから、洋裁学校に通っていた。その頃の話として、母がアメリカで学んだ恩師から聞いたアメリカの進んだ生活の様子やマナーのこと、そして日本中から集まっていたお友達のことなどを、何度か聞いたことがあった。東京に空襲があり、母は故郷の那須に戻ることになる。「戦争がなければ自分の夢を実現していたのに」と、よく話していた。ちなみに私の着ていた服はすべて母の手作りであった。新しい考えを持ち、よく努力していた母であった。

私も結婚し、子供を育ててみて改めて母について考えることがあった。母にあって私にないものはなんだろうか。それは「子供を無条件で受け入れる心の広さ」ではないか、ということに気がついた。母と私の世代での母親像の違いかもしれないが「ゆったりあたたかい包容力」が私を含め今の母親には不足し、それが子供の心の安定や自己確立をしょうとする心に微妙な影響を与えているのではと思うことがある。

わが家では、毎年、年の初めにそれぞれに小さなだるまを買い、願い事を書くことにしている。私は最近までいつも「大きな目、大きな耳、小さな口」と書いていた。それは、家庭での私に一番欠けていたことだからである。忙しさに流されて、気がつくと「小さな目、小さな耳、大きな口」になっていた。「母親失格だな」と思うこともしばしばであった。

教師としていろいろな親子に接し、親と子供の思いのすれ違いを見ることがある。子供は自分とは別の独立した人格であることを理解することの難しさを、最近あらためて感じている。今後、母親として息子と娘の子育てを通し、より多くのことを学ばせてもらおうと思う。

娘の高校入学を期に、私の青春時代の再体験を含めながら。

(いわき市立中央台北中学校教諭)




青い瞳の天狗

遠 藤 俊 一

遠藤俊一

昨年の三月末のある日の朝。私は、突然の電話の音で目が覚めた。時計を見ると午前五時。(私にとっては熟睡の時間)こんな時間にだれがと受話器をとると、電話の向こうから聞き覚えのある声。アメリカに住むA君である。(彼は、一昨年の夏まで二年間三春町で英語指導助手として活躍したアメリカ人。私の友人であり隣人であった人物)半年ぶりの懐かしい声に眠気は何処へ。お互いの近況報告に話がはずみ、再会を期し、そろそろ話を終わろうとしたとき、お願いがあるとのこと。その願いとは、地区にある八幡神社の春の祭礼に今年も天狗をやらせてほしいという内容であった。即答に困り、とりあえず神社の総代の方に聞いてみることで受話器を置いた。(私の地区では、毎年、四月の桜の見頃の時期に八幡神社の祭礼があり、神輿をはじめ、長獅子、天狗が街に繰り出す)一昨年は、天狗になる人物が見つからず、背の高いA君に白羽の矢が立てられ、彼は見事にその役割を果たしたのだった。それがよほど印象に残ったのだろう。天狗ができるのであれば、ぜひ来日したいとのことであった。総代の方の許可を得て、連絡のために電話をすると、二度も天狗ができるとは思ってもみなかったと、それはうれしそうな様子であった。満開の桜並木の中、アメリカ人の天狗を先頭に、にぎやかなお祭であった。

それから一年が過ぎ、三月のある日。巷ではそろそろ春祭りが話題になる頃、ある総代の方から「今年の天狗は、ぜひB君になってもらいたいが引き受けてくれるだろうか」と相談を受けた。(B君は、昨年の夏から三春町の英語指導助手としてアメリカから来日し、私の家の隣に住んでいる)早速聞いてみると快く引き受けてくれた。四月の日曜日、今とばかりに満開に咲く桜並木を、B君は下駄があまりにも小さいため少々歩きにくそうではあったが、二代目のアメリカ人の天狗として見事に役割を果たしてくれた。

この二人の友人のフロンティアスピリットにはただただ感嘆する


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