教育福島0223号(1999年(H11)11・12月号)-028/48page

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しんでいたような気がします。かねてから「教職は経験がものをいう職業であってほしくない」という考えがあり、自分の感性を信じて在りのまま生徒たちにぶつかってきました。

そんな私に対し「さあ今度はどう出る」といわんばかりの出来事が起きました。文化祭のクラス展示に対してある生徒が「就職の時期だし、何でもいいや…」の声。やる気満々の私は樗然としました。文化祭で、一花咲かせようと考えていたのは担任の私だけだったのです。確かにクラスの取り組みに関して私の梃入れが多く、本当の意味での自主・自発性が育っていなかったのかもしれません。

そこで私は「文化祭という一大行事ひとつこなせない者にどうして会社が内定を出せるのか。先生が社長だったら内定通知は出さん。やるならでかい事をやろう」と演説をぶって、すべてを生徒たちに任せ、出方をじっと待つ事にしました。生徒たちはニヤニヤと「また笑わそうとして」と、まったく本気にしていない様子。確かに「どこの大根役者だ」と私自身も笑いたいぐらいでした。少しでもクラスの刺激になればという試みでした。数日後、文化祭実行委員を中心にようやく意見がまとまり、「担任の実家がすし屋だし、創立五十周年とかけて、五〇メートルの太巻きを巻こう」と提案してきました。まさしく担任の梃入れなしでのアイデアで、クラスのみんなが一つに向かって自ら動き出した瞬間でした。準備から本番まで実に大変なことの連続でした。無事に大成功に終わる事ができ、もちろん生徒たちは感激に浸り、大喜びでした。「先生の勢いがあったからできた、ありがとう」と言われたときにはなんともいえない喜びを覚えました。

自分の感性を生徒たちにぶつける事によって、生まれるもの、生徒たちから学ぶもの、そして、一教師を育ててくれる事を教えてくれた生徒たちに感謝したいと思います。

来年で十年目を迎えます。今後も在りのままの自分をぶつけながら生徒たちから学び、共に成長しつづけていきたいと考えています。

(県立新地高等学校教諭)




話術の大切さ

芳賀 徹

芳賀 徹

最近、とても元気の出る講演を聴いた。演題もそのままで、「元気のでる話、明るい家庭はあなたの心次第」である。演題につられて講演を聴きに行ったが、会場に入ってみると、約三百名入る会場に二十名そこそこである。主催者は、講演を十分ほど遅らせ、客が入るのを待ったようであるが、それでも八十名位であった。私は、「これでは、講演者は、怒って帰ってしまうのではないだろうか」「がっかりして、元気のない話になってしまうのではないか」と心配になってしまった。

時間も押し迫り、講演者W氏が登場した。壇上の席に着いたW氏は、なぜかニコニコ顔であった。私は、なぜ、こんな状況でニコニコ顔でいられるのか不思議に思った。

主催者側のW氏の紹介が終わると、W氏は壇上のマイクをいきなり外し、壇の前に出て、山形弁でパフォーマンスを交えながら元気よく話し出した。会場は一瞬にして爆笑の渦である。W氏は、あっという間に聴衆の心をつかんでしまったのである。聴衆の数が多い少ないにかかわらず一生懸命汗を流しながら、体全体を使って講演するW氏の姿にとても感動した。一時間半の講演時間を誰一人飽きさせることはなかった。

私は、なぜ、W氏の話に引き込まれていったのか考えてみた。

第一に、聴衆の興味・関心がどこにあるのかを聴衆の表情や反応からつかんで話をしていたからだと思う。

第二に、話が講演者からの一方通行ではなく、聴衆との対話があったからであると思う。

第三に、しんみり聴かせるところと、笑わせるところのめりはりがはっきりしていたからだと思う。

これらのことから、ふと我を振り返ってみると、今まで子供の興味・関心をひくような話をしていただろうか。話をするときに、子供一人一人に気を配りながら話をしていただろうか。要点をきちんと押さえて話をしていただろうかと反省させられた。

子供が教師の話を聞かないのは、教師の責任によるところが大きいと思う。子供の前に立った時、一人一人の子供の心をつかみながら、表情豊かに話せる教師でありたいと思う。

(石川町立石川小学校教諭)


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