教育福島0223号(1999年(H11)11・12月号)-027/48page

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ら、M子さんのこれまでのがんばりを話されるお母さんの表情には、これまでの家族のご苦労と合格した喜びがよく表れ、私までうれしい気持ちになってきた。

それ以上に、小学校二年間の担任だった私のような者にまで、感謝の言葉を述べられるお母さんの謙虚さに心を打たれた。

帰りの車の中で、M子さんの無邪気な笑顔を思い出し、私の知らない間に目標に向かってがんばれる人間に成長したことに刺激を受けた。

私たち教師の真の成果はすぐには求められない。数年後、いや数十年後にようやくわかるかも知れない。

五千円札の肖像の新渡戸稲造先生は、世界の平和に命をかけ、愛を実践した教育者として知られている。先生の言葉に、

「われを生みしは父母にしてわれを人にせしは師なり」 というのがある。

自分を生み、育ててくれたのは父母である。自分を人間らしい心豊かに育ててくれたのは先生であるという意味である。

何年たっても担任への感謝の気持ちを忘れず持っている方がいらっしゃる。

教師の責任の重さとやりがいを再認識させられた。M子さんの合格の知らせに、私自身とても励まされたような気がする。

M子さんとの再会に備え、少しは成長した私自身を見せるために、体と心のシェイプアップを決意した。

(双葉町立双葉南小学校教諭)




教職の道を歩き始めて

神津忍夫

神津忍夫

「あなたは教師に向いているんじゃない」中学時代の恩師の何げない一言であった。そのA先生は、女性の保健体育の先生で、とても厳しく、みんなからは怖がられていたという印象がある。でも、私は、いつでも子供たちと真っすぐに向き合ってくれるそのA先生が大好きだった。だから、私は先生からその言葉をかけていただいた時、正直自分が少し認めてもらえたようで、とてもうれしかった。

結果として、その一言から、私の教師への道がスタートしたわけだが、改めて振り返ってみれば、その道のりは決して平坦なものではなかった。自分が望むようには、なかなか事は進まず、高校、大学と二度も受験に失敗するという挫折を味わうことになった。この経験は、自分の力のなさを痛感させられるものだったが、それでも、私はその時々で、自分の進路に修正を加えつつ、自分の置かれた状況や環境の中で、楽しんでやってこれたと思う。

短大卒業後、周りのほとんどが就職していく中で、私はあせりと不安を抱えながらも、あのA先生の言葉を胸に、何度も採用試験にチャレンジした。途中、正直「もうあきらめよう」と考えたこともあったし、教職が自分が本当に進むべき道かという迷いも生じた。ただ、そこで踏みとどまることができたのは、私の中に「絶対教師になって、A先生のような先生になりたい」という強い信念が、中学時代と変わらず残っていたからだと思う。

二年間の講師期間を経て、ようやく採用試験を通り、この四月から現在の学校で、新採用教員として教師のスタートを切った。ここにたどり着くまでに、随分遠回りをしたかもしれないけれど、やっと夢が実現したことになる。さらに、始めての学級担任。本当の意味での始まりなんだと実感した四月であった。そして今、毎日が試行錯誤の連続である。そんな中、生徒一人一人に十分対応できていない自分がいる。教師としてもっともらしいことしか言えないもどかしい自分がいる。

A先生のように、生徒に寄り添える教師になりたいと願う毎日である。

(熱塩加納村立会北中学校教諭)




「感性をぶつける」

桑名 修

桑名 修

初めて担任としてクラスを受け持ったのが六年前。不思議と不安はなく、「あれも、これもやってみたい」とハラハラ、ドキドキを楽


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