教育福島0223号(1999年(H11)11・12月号)-037/48page
心に残る一冊の本
啄木の「ふるさと」に思う
県立会津養護学校教諭
渡部ミチ子
学生だった時、恩師が雑談で、「啄木や賢治のような欠点だらけの人をあんなに有名にしてしまうのだから、岩手県の人は偉いね。才能ある人の足を引っ張る地域だって多いのに」と話されたことが心に引っ掛かり、啄木や賢治に関心を持つようになりました。また、高村光太郎が晩年岩手県の山奥に籠(こも)ったことや、立原道造が盛岡に旅して「光ある世界」を感じたことなどを知ると、単純そのものの私は、岩手県がすっかり理想郷のように思えてしまいました。
啄木が渋民村を激しく恋うたのは、漂泊を余儀なくさせられたからで、故郷から引き離された不安定な暮らしの中で、強く心の拠り所を求めていたのでしょう。
早熟ゆえに早くから文学に目覚め、感受性の鋭さゆえに社会状況にも敏感に感応し、壮絶なまでに貧困と病苦のうちに終えた一生。二十歳で一家を扶養していかなければならなかったことを思うと、よく世事に毒されず理想を求めて生きたなと思いますが、反面、同じ女性として妻節子の立場に視点を置いて見ると、私は生活者としては決して立派とは言えない啄木を、全面的に理解することはできませんでした。
啄木のファンには年配者が多いと聞きます。夢を追い肩に力の入った生き方でも、苦しみの中から生まれた言葉の一つ一つが胸を打つのでしょうし、無理に無理を重ねた人生をねぎらってあげたいと思うのではないでしょうか。
今ではもう岩手に住みたいとは思いませんが、何年に一度かはこの本を携えて訪ねてみます。最近は啄木の渋民村も私の生まれ育った会津もそう違わないように思えてきました。「ふるさと」が自分の心の拠り所を意味するのだとしたら、特定の地域にこだわる必要はないのかもしれません。自分の周りの人や自然を大切にして生きたいなと思うこの頃です。
本の名称:人と文学シリーズ
石川啄木
現代日本アルバム
著 者 名:井上光晴 他
発 行 者:学習研究社
発 行 年:1979年9月25日
私たちが求めるもの
青い空、青い海。
県立勿来工業高等学校教諭
高原綾乃
私の読書量は、人と比較して決して多い方ではない。しかし、その中にも本当に心に残る本とはあるもので、何年たっても不思議な程鮮明にイメージが焼き付いているものがいくつかある。
そんな本の中に、私が高校生の時に初めて読んだ「遠い海から来たCOO」がある。後にアニメ映画になっているので、かなり広く知られている物語かもしれない。当時の私にこの本は新鮮な衝撃を与えてくれた。
南太平洋に、古代切恐竜のプレシオザウルスの末裔(えい)が生息していたということからこの話は始まる。フィジーに住む日本人の少年の洋助が、生まれたばかりの恐竜の子供を偶然に発見し、クーと名付けて飼い始める。しかし、その恐竜の生息海域で核実験を行う予定であったフランス政府は証拠隠滅を図る。洋助たちは否応なしの政府諜報機関を相手に戦わねばならなくなる。クーを守り、自然を守る為に。
実際にはあり得ない冒険ファンタジーであるが、全編を通して描かれる南国の空の青さ、海の輝き、そして人と動物の純粋な友情が、私たちのあるべき姿を教えてくれるような気がする。大自然の中で人と動物が一体になれば「動物保護」という考え方もなくなるのかも知れない。言い換えれば、この物語には地球の理想とする姿が凝縮されているのだ。それも、少年や、イルカや、犬や、クーの生き生きとした姿を通して。あるいは、核爆弾や権力に固執する人間の愚かさを通して。
最近になって読み返してみると、これは単純な友情物語なのかななどと思う時もあるが、やはり私たちが求めるべきものは地球本来の姿であり、他の動物との共生なのだろう。だからこそ、私の心の中には青い海を泳ぐクーやイルカが住みついて離れないのだと思う。
本の名称:遠い海から来たCOO
著 者 名:景山民夫
発 行 者:角川書店
発 行 年:1988年8月5日
本コード:ISBN4‐04‐872485‐1