教育年報1972年(S47)-224/285page
(4)概 要
昭和43年度より、山形県を中心会場として準備を進めてきた
た本大会は、本県に4,600余名の選手を迎え、さらには、2,300
余名にのぼる役員・補助役員の協力を得て、成功裡に無事終
了することができた。なお、成績その他経過等については、
県実行委員会編「事業報告書」を参照されたい。
7.体育関係の表彰について
昭和47年10月10日、体育の日、11月3日、文化の日に永年
本県社会体育の振興に寄与、または、特に功績のあった優良
団体・功労者が文部大臣、県教育委員会より表彰を受けた。
表1 昭和47年度文部大巨表彰体育優良者・社会体育優良団体
氏名 現住所 生年月日 職業 他に兼務の役職 活動状況・主な功績 斎藤武士 会津若松市徒之町4の30 明・37・1・20 無職 県弓道連盟会長 昭和16年、本県に職を奉じて以来、弓道の普及振興に努め、その努力と指導力さらに人柄の良さは万人の認めるところである。本県の弓道が国体等で常に入賞を果たしているのは、氏の温厚な篤実な人柄と、率先して指導に当たられる熱意によるところがきわめて大である。昭和42年弓道連盟会長に選任されてからますます円熟された人格で、本県社会体育の振興に貢献されている。 福島県馬術連盟 福島市大町1-23内池孝一郎方 昭・27・4・1(創 立) 昭和26年創、立以来、「愛馬心を通しての人格の形成」を目標に,20年間 貫して会員の礼節の正しさをもって全国に知られている。県内の各スポーツ種目の競技者にも人きな感銘を与え、本県スポーツマンの鑑となっている。一方このことは馬術界における東北・北海道地区におけるリーダーシップのみならず、記録的には、最近10ヶ年国体の1位入賞を果たし、持に昨年は岩手国体に続いて二度目の優勝をとげた。
表2 昭和47年度福島県特別体育功労賞受賞者
佐藤哲夫 神奈川県足柄市中沼音富士フィルム足柄工場 昭・24・3・12 会社員 ミュンヘンオリンピック日本代表バレーボール選手として活躍し金メダルを獲得、県知事より特別体育功労賞を受けた。
相馬市尾浜字松川港前が生家、相馬高校を卒業して富士フィルムに勤務、メキシコオリンピック世界選手権大会も全日本のメンバーとして出場している。
表3 昭和47年度保健体育功労賞受賞者
郡山スポーツ民踊協会 郡山市虎丸9の3 昭・42・7(設立) 郡山市の体育指導委員が中心となり、 般市民特に婦人の高年令層の人達に.如何にして、体育・スポーツを行なわしめるかという課題にたって検討の結果発足したものであり、今日では3.5000人の会員を擁し、毎日市内のどこかで講習会あるいは練習会が行なわれている状況である。この協会の活動が、明るい郷土と健康づくりを唱える郡山市に貢献する行績は誠に大きいものがある 宮崎徳治 二本松市松岡56 明・45・2・10 団体役員 二本松市体育協会会長
安達地方体育指導委員連絡協議会長
二本松市議会議長昭和21年二本松野球協会副会長に就任、同35年会長となる.昭和36年には、市内の競技団体を統轄して二本松市体育協会を設立、おされて会長となるまた、二本松市体育指導委員会々長、安達地方同連絡協議会々長も併任し、市民の体育・スポーツの振興はもとより安達地方全域に多人の貢献をした。本県の社会体育の振興に貴重な存在である。 鈴木善兵衛 福島市飯坂町東湯野字桜田8-1 大・元・12・17 無職 県陸上競技協会常任理事 昭和9年以来、明治神宮大会に連続出場活躍した本県陸上界の代表的人物、戦後教育委員会に勤務し、混乱期にあった体育を正常な方向づけした。以後現場と委員会を行ききしたが、この間、体育団体、特に県中体連の設立育成、体育研究団体の育成に多人の貢献があった 古川鉄夫 会津若松市大町2-1-1 明・41・6・12 医師 県相撲連盟会長
会津体育協会副会長
会津若松市体育協会々長昭和23年に会津若松市に開業のかたわら、青少年の健全育成に注目し、同年10月会津相撲協会々長に推されるや、この道による青少年の健康育成に傾倒し、自らも直接指導に当たるとともに、相撲協会そのものも近代的組織に建て直した。市および会津体育協会の設立にあたっては、積極的に尽力、大きな功績があった。 大堀三男 会津若松市宮町10-9 明・45・4・28 無職 県陸上競技協会副会長
会津陸上競技協会会長昭和23年に福島県体育協会理事長に就任、県総合体育大会を創始し、今日の隆盛の礎を作った。昭和27年に会津若松市保健体育課長に就任するや陸上競技場はじめ体育施設の整備に献身的な努力をした。さらに会津体育協会の設、立に当たっては中核的存在として、その結成にあたり、会津地区総合体育大会を創設するなど会津方部の体育・スポーツの振興に功績があった。 菅野増見 白河市日影19 明・34・12・21 会社顧問 県柔道連盟副会長
県南柔道連盟会長戦後、県に復帰するや、県南地方を中心に柔道を普及振興させたが、円満な人格と卓越せる技量、識見は信望を集め、昭和35年県南地区会長におされた。以後も熱心に柔道の普及振興に努め、現在では、県内最強の地区となった。また、白河三道会館の建設には大きな貢献があった。