より良く生きるための学力を求めて-040/64page

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4 後書き

福島県の学力がなぜ低いのか。
この問題は、かなり以前から話題になっていたことである。そこで原因として挙げられていたことを列挙してみよう。

大学が少ない。魅力的な大学がない。理系の学部が少ない。
学習塾や予備校が立ち後れている。
県民性として、あくせくしない。のんびりしている。
カリキュラムに特色がない。集団主義的で、画一的だ。
刺激がない。田舎である。
指導体制に問題がある。生徒の意識が低い。
・・・

福島県と対極にあるのが、奈良県である。あるとき、奈良県の教育庁関係者に、センター試験で奈良県の成績が抜群である理由を尋ねた。かつて奈良県の進学校の教師でもあった彼はしばらく考えて、次のようなメモを送ってよこした。
1 奈良県は、高校受験は全県一区であり、進学予定者は特定の高校に集まり、そこで徹底した進学指導を受ける。
2 1、2年生は、早朝、7:10から授業(有志参加:実質強制)があり、放課後も補習がある。
3 2、3年生は、放課後、京都、大阪などの予備校に通う。夏、冬の休みは当然である。
4 奈良県民の所得は低く、一般にハングリーである。近在の国公立大学を目指すものが多い。
※ 付け加えて、「ただし、わたし個人は、このようなことが正常な高校教育であるとは考えていない」とあった。

奈良県は、奈良県である。本県は本県で、可能なこと、より適切なことを求めていくしかないであろう。
目指すべき「学力」について、学問的な議論をすることはこの際あまり建設的なことではない「新しい学力観」という表現で強調される発展的な学力が、まさしく社会の変化に主体的に対応できる能力を育成しようとしているものであることが確認できれば十分である。
ただ、問題にアプローチしていく上で、「学力の構造」については若干の整理しておきたい。
清水利信※は、広義の学力の構造を次の図のように説明している。広義というのは、個人ではなく、「集団としての学力構造」として捉えているからである。清水によれば、学力の中核をなすものは児童生徒の知能を含めた全人格であるが、学校環境である指導法の因子(教師の人格・学識・教育体制)に大きな影響を受ける。そして、そのまた底辺に4つの大きな因子があるとする。すなわち、1、経済的因子 2、都市・農村因子 3、


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