研究紀要第29号 学習指導に関する研究 - 003/118page
単語の意味を広げさせる指導に関する一考察
―小学校教科書にあらわれた基本的な動詞の用例を中心として―
1.研究の趣旨
「子どもの語い力が貧しい。」ということをよく耳にする。簡単に「語い力が貧しい。」とか,「語い量がない。」とか口にするけれども,「語い力」の概念が,語る人によってかなり違うのではないだろうか。一般には,「ことばを知らない。」という程度の,きわめてあいまいな概念のままで議論しているというのが実態であろう。
一歩ゆずって,国語教育を専門とする教師の場合を考えてみても,「たくさんの単語を暗記し,その単語の同義語を再生できる力(言いかえの力)」を語い力と考えている人が多いのではないだろうか。
次の引用は,小学校1年の国語教科書(光村図書・1上)の「こねこ」(同書10ぺージ〜15ぺージ)という文章である。
あ,
ねこが いる。かわいい
こねこだね。
a
の
こねこよ。たまという
なまえよ。いぬが きた。
わあ,
おおきな いぬだ。あら,
たいへん,たいへん。
たまが,
あんな ところに いる。たま,たま
おりておいで。はやく おりて おいで。
りこうな こねこだな。
さあ,
b
へ かえろうね。文章中,a の「うち」とb の「うち」と二つの「うち」が使われているが,a は,ねこを飼っている主体,b は,話者の住居,をそれぞれあらわすもので,異なった意味でつかわれている。
このように,「うち」という単語は,文派の中で限定された意味をもつわけであり,それをはっきりつかむことができるような力は,この文章を読みとる力ときわめて密接な関係があるということができる。
したがって,「うち」を「すまい」と言いかえるだけの扱いでは,「語い力」と「読解力」とは,深い関係はもちえないであろう。
「語い力」は,たんに「語い」を知っているというだけのことではありえない,ということを実例をあげてのべてみたわけであるが,こうしたことから,「語い力」というものを次のように考えることができると思う。
すなわち,単語を知っていて,話したり書いたりする場合に正しく使える力や,聞いたり読んだ