研究紀要第29号 学習指導に関する研究 - 108/118page
情報化社会と情報処理教育
1 はじめに
われわれは、日頃生徒に接して教育といういとなみにより,望ましい人間の育成を使命として活動している。教育は新しい社会をつくりあげる原動力といわれており,その内容は社会の進展とともに改変されていかなければならない。このような前提に立って,もう少し教育をみていこう。
教育ということばから考えてみると,それは,「教え育てる」ことである。教え育てるためには,教師が生徒に働きかけることが必要となろう。その動きかけの方法には二つの形がある。一つは教師から生徒に知識を注入するいわゆる教師中心または教科書中心主義的な教育で,「教え込む」という意味が強いものであり,他は生徒中心または能力開発主義的で,生徒の「学習」を助けるための指導である。
したがって,教師中心主義的教育は教師が主体で生徒は客体となる。生徒が客体すなわち受動的な場合は,学習活動つまり,学習の成立を日標とした行動は起こりにくい。
反対に,生徒中心主義的教育は,生徒の学習活動を尊重して,個個の生徒のもっている能力を引き出し,将来社会生活を営むための指針を作る働きとするのが一般的な考え方である。
このことから,教育の目的は人間のもっているさまざまな能力,適性を可能な限り引き出し,人格の完成に近づけることであるといえよう。
また教育の本質は,人間が自己の未来にかかわらせることであるから,社会の変化に対処できる人間,未来社会を創造してゆく能力をもった人間の育成でなければならない。
「社会の変化」は,「ある時代の社会」と「未来社会」または「来るべき新しい社会」との問に起るものであり,それにともなって教育も変化するであろうし,また変化しなければならないものと考える。
二ーチェは「脱皮できない蛇は滅びる」といっており,社会の変化の方向を正しく見極めたうえで,それに対応できる人間の育成を目指すことが,新しい教育の理念として要求されると考え,「新しい社会」つまり情報化社会に対応する教育の一環として情報処理教育を位置づけ,主として高等学校における情報処理教育の原点をかえりみながら考察し,情報処理教育の理念はなにかをさぐってゆきたい。
2 情報化社会とは
1970年(昭和45年)は「情報元年」と名付けられ,わが国も本格的に情報化社会へ突入することになった。
この情報化社会ということばがどういうものであるかを十分理解されないまま,急ピッチで社会が進展しつつあるように思われる。
つまり情報化社会とは,どのような社会なのか,社会の発展段階としてどう位置づけられるのか,ということをはっきりさせないまま,人それぞれのイメージで使われている。情報化社会に対する定義が若干の混迷すら存在してはっきりしていないのが実情であろう。
情報処理教育を担当するわれわれは,まずこのことついてしっかりした認識をもつ必要がある。(1) 工業化社会から情報化社会へ
@ 社会の重層構造
人類の歴史をたどってみると,原始時代から農耕時代へと生産手段とか生活環境の大きな変化が人類の文化なり,歴史というものを非常に大きく変えているわけであるが,近世におけるいちばん大きな変革は,いうまでもなく第一次産業革命である。
第一次産業革命の本質は,従来までの土地を中心とした農業生産力に依存していた産業社会が,