研究紀要第29号 学習指導に関する研究 - 109/118page
工業生産力に依存して,一般国民が有用物を大量に生産し,消費しながら豊かな生活を享受することができる,そういった工業化社会というものに大きく発展していったところにある。
ところが,いまや工業化社会が成熟期に到達して,その次の新しい社会へと移行しつつあるといわれている。その新しい社会が情報化社会なのである。
その間の歴史の進歩は重層的であって,前のものがいきなり無くなって,まったく新しいものが出現するというものではな一く,一つの土台の上に次のものが重なっていくという形で発展してきたのである。
「いま,21世紀の社会を考えてみよう。21世紀の社会でのわれわれの生活は依然として三重の構造が存在しているのではないかと考えられる。すなわち,農村社会ともいうべき前工業化社会,産業社会といわれる工業化社会,そして工業化の結果もたらされた都市化の進展によって,既存の機能が自壊作用を起し,工業化社会を脱して知識・情報化社会あるいは超技術社会へと移行しつつあるといわれる第三の社会とである。
この三つの社会は,21世紀にあっても,それぞれの比重の差こそあれ,それぞれの構造を維持しながら併存するといった重層構造を構成しているのではないかとの仮説に立つことにしよう。
これは一つの仮説にすぎないかもしれない。がしかし,人類6,000年の歴史を振り返ってみた場合でも,今日の文明社会においても依然として古代社会がなんの矛盾も感じずに併存していることを想起すれば,21世紀社会においても三つの社会が重層的に併存すると考えても誤りではあるまい。」
という片方善治氏の見解は,新しい社会は重層構造を構成し,第三の社会―情報化社会―として工業化社会から移行しつつあることを示している。
ではなぜ工業化社会から情報化社会へ移行するのだろうか。
題1図 産業構造の変動 (1875-1985年・110年間)A 産業構造の高度化
セント・ルイス大学のオング教授によれば,「歴史の初めには知識の量が倍になるのには1万年かかったが,現在では15年で倍増する」と説明している。
では,なぜこのようになったか。その背景はなにか。
結論からいえば,それは産業構造が高度化したからである。農業中心の経済社会構造から工業へそれも高度な技術を必要とする工業化社会へとその構造が変動したからである。
片方氏はさらに,産業構造の変動を生産所得面から第1図のように,実証的に分析している。第1図によれば,第二次世界大戦を除いては,第一次産業は年を経るに従って,そのシェァを低下しつづけてき,昭和40年には10%にまでなってしまった。そして昭和60年には6%程度にまで低下すると予測される。これに対して,第三次産業は第一次産業とは反対に工業化の進展とともにその地位は向上の一途をたどってきている。矢印の実線は,"第二次世界大戦という異常な状態がなかったならば"といった前提に立った場合のすう勢線を引いたものである。
これによれば,明治8年当時は第一次産業が44%を占め,第二次産業がわずかに6%にすぎなかった。ところが今日では第一次産業と第二次産業