福島県教育センター所報 第2号(S46/1971.8) -001/023page
巻 頭 言 第1研修部長 佐 藤 好 秋
最近の教育界における大きな現象のひとつに,学校経営に対する大きな関心,それにともなう活発な論議,さらに学校経営研究の多くの成果などをあげることができるであろう。反面,これらの研究は多種多様.どれをどのように把握すればよいのか迷うことさえある現状でもある。このような現象に対し,移りかわりのはげしい教育界の流行と批判するむきもあるが,私は教育の近代化,現代化を志向する教育革新の基本的問題を学校経営に求め,教育方法の問題等をふくめて,経営としての組織活動からこれを解決しようとする,現場学校の意欲的な研究としてこの現象を高く評価したい。それにしても,このような学校経営の実践と研究が,経営学の影響を受けていることは否定できないし,この際,もう一度この動向を的確に把握しながら,さらに広い立場から学校経営を見なおすことが,研究と実践をより深めるための前提でもあると考える。そこで,はじめに学校経営が強調されるに至った理由,さらにこれらの考え方をのべ今後の学校経営研究への参考に資したい。
まず,理由の第一は,戦後の教育民主化のなかで,学校の責任者である学校長が,なにもないなかで新しい学校経営にとりくまなければならず,真剣に新しいものをつくりあげるための努力をし,実践してきたことである。その後漸次教育行政が確立されたが,そのなかで学校長は,相反する問題をかかえながら,学校経営とはなにか,そのありかたはどうなのかを早急に解決しなければならない立場にたたされてきた。これが当時の学校経営の実践,研究の背景である。そしてこのようななかでおこなわれた具体的研究は,当然学校経営の法制的基礎や解釈.活用を中心にするものでおり.一般にこれを法制的学校経営研究とよんでいる。第二の理由は前にものべたとおりアメリカにがったつ下経営学の影響である。これは一般に経営学的学校経営研究ともいわれ経営学の考え方、その手法を積極的にとりいれるべきであり、それが教育の近代化につながるものであるとする立場である。かがくの進展にともなう産業の飛躍的発展、これをなしとげた近代経営の手法が、時代の要請として・教育の近代化を推進するなかで大きく注目され、これを導入した研究が、全国的にすすめられるようになったのもまた当然のことであった。以上学校経営研究をさかんにさせた 理由の二つをのべてみたが,経営学的研究については、さらにその流れ,あるいは基礎的理論を十分理解してかかる必要がある。「教育不在の経営論」等の批判 も,真にこれらを理解せず,新しいものを導入しようとすることからおこることが多い。そこで、つぎの問題としてこれらのことについて若干ふれてみたい。
経営とは"人・仕事をどのように考え、これをどう組織し,目標を達成するか”にかかわる問題であり、経営研究は,この問題を解決するためのアプローチのしかたである。この場合"人・仕事”は.「仕事を中心に人を考えるか」「人を中心に仕事を考えるか」の立場に分かれる。前者はF・W・テーラーの「時間の研究」等の実験にささえられた「科学的管理法」の理理論をもとにしており,後者はメーヨー教授の実験で明らかにされた作業と環境,作業員の態度等をもとにした「人間関係論」「組織論」の理論である。また仕事を中心とした研究のアプローチは,仕事の合理化をねらい,そのために仕事を分析し,標準化し,効果をあげるよう指導、監督するということを重点にすすめられる。しかしこの「仕事中心」の考えは,人間不信につながるものであるという批判も多く,これにこたえるものとして,人間関係を重視する経営研究がおこなわれるようになった。しかしこれも人間関係を重視するあまり,仕事の成果に結びつかない方法論にはしり,表面的な人間関係の解明にとどまり、その重要さを理解しながらも,深い研究には至らないという欠点もあった。そこで最近,両者を統合したものとしてクローズアップされてきたのが,いわゆる「目標による管理」といわれる方式である。
以上経営学的研究といわれるものの流れについてふれてみたが、学校経営研究にこれをどうとりいれるべきか、問題もまた多いように思われる。子どもの成長を目的とする教育と物的生産を目的とする企業、中立性をもつ教育と利潤追求をねらいとする企業とのちがい、行政的な学校は、企業とちがう要素を多分に含んでいるものである。そこで学校経営の研究では、これらの前提をしっかりふまえ、研究理論の導入可能性、限界性を吟味し、その導入をはかると同時に、複雑な条件が多ければ多いほど、長い時間をかけ、ひとつひとつ解明するという心構えで研究をすすめる必要があろう。