福島県教育センター所報 第4号(S46/1971.12) -001/025page

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巻 頭 言

研究・相談部長  河野 利作

研究・相談部長 河野利作

最近,教育機器を活用して新しい学習指導の方法を開発しようとする研究が盛んに行なわれ,日日の教育実践にも教育機器の導入が意欲的に行なわれていることは誠によろこばしいことであります。教育機器の導入はそれ自身が目的ではなく,手段として,授業の効果をよりいっそう高めるために機器が導入されるものなのであります。教育機器は,学習の個別化,学習の効率化をはかるために,指導のねらい,教材などの関連において導入されるものでありますから,単に,教育機器を利用しさえすれば,それで教育の効率化がなされるというものではありません。

各種の教育機器は,それぞれの機能,特性および限界があります。したがって,指導のねらいに照らし,教材との関連において,機器の特性を,どこで,どのように生かして活用するか,綿密な教授,学習活動の計画を立てて,教育の効果をいっそう高めるように配慮することが教育機器の導入に対する基本であると思います。したがって,このことを再確認し,この基本的な考えのもとに,今後,実践をとおして,よりよい活用の方法の発見と,機器導入による効果的な指導の改善にとりくんで行くようにしたいものであります。

今回の中教審の答申に「個人の特性に応じた教育方法の改善」,など,これら,教育改革の推進と教育の質的向上のための研究開発の促進の必要性をとりあげ,今後の教育における研究の方向を示しております。いうまでもなく,学校における教育は,意図的,計画的に行なわれるものであり,目標,計画,実践,評価の各段階の確実な実施によって,はじめて,教育の効果をあげることができるものと思います。すなわち,教育は目標をもって,その目標を達成するための計画の立案,そして,その計画にしたがって実践を展開し,その実践の結果,この目標が現実においてどの程度達成されたか,測定評価が行なわれるのであります。その結果,この教育実践が望ましいものであったかどうかを検討し,改善のくふうが行なわれるという,研究的態度に支えられた一連の目的的な螺旋的な営みであります。

ここにおいて,教育実践が,効果的で望ましいものであったかどうかは,指導の目標との関わりにおいて検討されるもので,そのためには,実践のための目標が具体的で,かつ,明確にされていなければなりません。学校経営に経営学がとりいれられ,教育にも経営の思想が認められ,それを用いるようになってきました。生産性を間題とする企業体においては,企業の収益の向上をめざし,生産性の向上を目標としております。そして,その目標は,その効果を客観的に測りうるように具体的,数量的に示されていて,その計画,実践の結果を科学的にとらえられるようになっています。したがって,その結果から,実践に対する反省,改善の方向が明確にとらえることができます。

教育は,人間を対象として,人間形成を究極の目標として行なわれるもので,一般性,抽象性の高いものであり,且つ,多くの変数をもつものでありますから,「物質」を対象とした生産性の向上をはかるというように,単純に,目標の数量化,そして,それによる測定は困難であります。が,よりよい教育実践を志向して,目標に対して方法が有効であったかどうか,実践の成果を確実にとらえ,教育の効果をいっそう高めるような方法に対するくふうと配慮とが必要ではないでしょうか。すなわち,目標をもっと具体的に,しかも,明確にし,その目標への到達の程度が測定評価することができるようにするくふうと配慮を考えることが必要であると思います。

例えば,「主体的な子どもを育成するのに,〜の方法が効果的である」というとき,果たして,主体的な子どもになったかどうか,目標に到達したということを事実によって証明するための評価がともなわなければなりません。そのためには,「目標としての主体的な子ども」のイメージを具体的に,明確にとらえ,さらに,目標に到達したかどうかを評価する方法を具体的に,しかも,実践以前に明確にしておくことが必要であり,それによって,教育の実証性を高め,教育の質的向上がはかられることになると思います。


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