福島県教育センター所報ふくしま No.7(S47/1972.8) -001/025page
巻 頭 言
第1研修部長 丑込幸男
社会の変動に敏感な子どもたちは,いつの世でもその影響をまともに受けて変ぼうしっづけています。こうした子どもの実態をみつめ,次の時代をどう察し,望ましい変革の実現を期待して,いろいろな計画がたてられています。今は「ひとりひとりの能力・適性に適合した教育」が課題として提示され,「教育の個別化」について多くの考えが述べられています。これは,教育の本質にたちかえろうとする教育者自身の反省によるもので,「人間尊重」の立場をとり,「人間性の開発」を求めるものであると思います。個人の持っている可能性の伸長をねがう考えはこれまでにもありましたが,この立場は,能力を多面的に発揮させることによって,新しく豊かな社会の発展に寄与する人間の育成をはかるということにねらいをおくものとみてよいでしよう。
このねらいは,短期間のうちに達成できるものではありません。計画は段階約に詳細なものが必要ですし,その指導に当たっては,慎重で継続的な努力が要求され,さまざまな補助手段のくふうも重要な手だてとなりましよ、この場合,対象としての児童・生徒の理解の度合が成果を決定づけるもとになります。よく知っているはずの児童・生徒に,実はだれにも知られなかった一面があり,それが,学習や行動を規制し,時として問題行動の要因となっていることはよくあることです。そこで,こうしたねらいの達成のためには,それぞれの学校の教育目標として具体的に位置づけることが重要になります。この場合, 1 現実の児童・生徒の能カ・適性の理解とその伸長の方向性, 2 開発の方向と期待する人間像,3 指導内容の精選と提示のくふうなどについて年次の具体策を作ることです。そして,その目標の設定過程と具現化のために,組織人としての全校職員が積極的に参加するように経営していくことが急務であると思います。
指導とその結果としての理解度(到達度)との関係は,いつも指導者を悩ましていることです。I・E・A(教育達成度の評価のための国際協会,構成メンバーは各国の国立教育研究所等で約20か国参加)のカリキュラム開発に関する国際セミナーにおいて,シカゴ大学のブーム教授は完全学習(Mastery Leaning)の提案(1972・7)をし,多くの支持を得ました。それは「一定のカリキュラム内容を教えるのに,通常のクラスでの一斉授業のみをくり返していたのでは,最終段階では,完全にマスターしたものは全体の5%,全く理解できないもの炉5%,のこりの90%はその理解度にしたがっていわゆる正常分配曲線を描いて,多かれ少なかれ部分的理解にとどまることが多い。教師もまた,このような能カ分布は当然のことと受けているのだが,カリキュラム学習の各段階毎に個人の理解度の遅速,理解方式の相違等個人差に応じて指導時間や指導方法をくふうすることによって,95%の子どもも完全理解に達することができる。」という考え方です。シカゴ大学では理論の実証を実地に行なっており,きわめて高い成功率を収めている国もあるときいております。
一方,0ECD教育委員会のCERI(教育研究・革新センター)が1972年から5か年間の事業内容としているものをみますと, 1 幼児教育(幼児教育のあり方とその普及) 2 生涯教育(個人の成長と教育の機会) 3 学校の新しい機能と制度 4 カリキュラム開発の指針など,13項目をかかげております。これは,わが国の中教審と同一路線であることに気づかれるでしょう。
また,ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は,1972年を国際図書年とするという決議を採択しています。これは,電波媒体のいちじるしい発達によって,図書本来の価値を軽視している傾向に対する警鐘であり図書の役割に注意を集中させようとするものです凸読書指導の重視を叫ぶわたしたちの悩みは,実は国際的な傾向の中にあることがわかります。
今は,すべての国が例外なく自国の教育改革ないしは教育振興に最大の努力をはらっており,その課題の解決のために,国境や民族のちがいを越え,世界の共通の広場で討議されるようになってきております。こうした大きな渦の中でわが国の教育もみなおされているのです。