福島県教育センター所報ふくしま No.7(S47/1972.8) -024/025page

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研究集録ー学習意慾を高めるため授業をどう組織すればよいか(44,45,46年度) 福島県相馬市立向陽中学校

教育相談('72・1)東京都杉並区立済美教育研究所

小学校算数・理科の指導過程における評価の研究

 ー数学的・科学的な考え方の変容のとらえかたー ('72'1)東京都杉並区立済美教育研究所

研究紀要(第14集第7分冊47・3)
 能力開発に関する研究◇学習評価に関する研究ー作文評価の基準を求めるー(中学校国語) 滋賀県総合教育センター

教育相談(No.31第9号) 沖縄教育研修センター
 遊戯療法の過程観察に関する試み
 自閉的な子どもの治療他2編

教育研究('72・3) 静岡県立教育研修所
 教育評価の研究ー中学校の学習評価を中心としてー学業不振と要因に関する研究(1) (47'3)
ー標準検査利用による基礎的調査(中間報告)ー 石川県教育研究所

中学校英語科学習における視聴覚教具教材利用に関する調査(研究紀要第23号第3分冊47・3) 熊本県立教育センター

生徒の主体的な学習態度を育てるために授業をどう組織するか(県教委指定'69〜'71学習指導法研究校研究集録) 福島県岩瀬郡鏡石町立鏡石中学校

教育相談(研究資料No-7第1集46年度)青森県教育センター

学区の実情を考慮した知的水準向上方策の研究(47'4)福島市立福島第三中学校

小5「異分母分数の加減」一アナライザーを使用した学習ー教育工学研究各論1研究紀要112 46年度 西宮市立教育研究所

小6「電磁石」を素材にしたプログラミングの試みー教育工学研究各論2研究紀要113 46年度 西宮市立教育研究所

中2「英語」教授・学習過程の研究(2)ー教育工学研究各論3研究紀要114 46年度西宮市立教育研究所

中1「力学」教材のプログラミングと学習効果の分析ー教育工学研究各論4研究紀要115 46年度 西宮市立教育研究所

中3「二次方程式の根の公式」についてのプログラミングー教育工学研究各論5研究紀要116 46年度 西宮市立教育研究所

「情緒障害児」治療教育の研究(1)(研究紀要11046年度) 西宮市立教育研究所


        編集後記

 所報第7号をお屈けします。夏季休業も終わり,先生方には,児童・生徒の指導,教育研究・研修などにご精進されたことと拝察いたします。この期間中の蓄積と成果が,二学期以降に発揮されますようにお祈り申しあげます。さて,いわゆる広報・報道などの仕事に携わる者として戒心しなければならないことの一つに,客観的真実をは把し広報・報道するということと,誤報に惑わされずに,その中から真実に迫るものを洞察することではないでしょうか。

 ー1月25日の朝日新聞夕刊は横井庄一さん発見のニュースをこう書いている。「(24)日夕,たまたま現場を通りかかった現地のエスース・デュエレスさんとマニュエル・ド・ガルシアさんの二人が,川のほとりでエビをとっている年配の男を発見,不審に思ってたずねると"元日本兵だ"というのでそのまま警察へ連れてきたという。男は物静かな様子で警察へついてきた」

 ところが,同日の毎日新聞夕刊はこうなっている。

 「漁民はジーザス・ドエナスさん(48)とマヌエル・ガーシアさん(36)の二人で,網を調べに行こうとして,網を仕掛けている横井さんを発見した、初めは家を逃げ出した子供だと思ったが,近づくと魚を落とし,飛びかかってきたという。しかし二人がかりで取押え,村へ連れて来た」

 発見者の名前の発音もちがうが,大きなちがいは低抗したか,しないかという点である。このふたつの記事はどちらも発信地がないので,東京の本杜でまとめた記事ということになる。ニュースの出所は,毎日は

 「ミクロネシア旅行中に同夜,横井さんと"対面"し,25日朝,TWA機で那覇に帰った太田斉さん(28)」

 朝日では「グアム島警察や航空会社,観光業の日本人駐在員」である。

 1月30日になって,朝日は森本特派員の"横井さんと28年後の別世界"と題する連載をはじめたが,その第1回にこう書いてある。

 「発見者ジューエス・デュエナスさん(46)……(とその)義兄マヌエル・グラシアさん(38)」のふたりが目をこらしていると,

 「いきなり目の前に日本兵があらわれた。思わず総気立って猟銃を構え,手をあげろ……といった。」

 「かれは右肩に一つ,左肩に一つヤナを持っていた。それをすてて,アーンとさけんで両手を合わせた。……彼はそのままの格好で向ってきた。そしてオレの左腕をつかみ,銃身を握ろうとした。オレは銃を義兄に渡して彼を組伏せ,ヒモで手を後ろ手にしばった……」

 横井さん発見を報じた日本の新聞界はまるで"誤報のジャングル"だったと評した業界紙があったそうだが,以上三つの記事を比較してみると,誤報の原因が容易に推定できる。

 まず翌日の記事は,どちらも伝聞にもとづいている。しかも,大部分が状況報告の専門家ではない。情報伝達の大部分は電話によって行なわれている。その数多い情報のなかから推定による取捨選択が行なわれたわけだ。さらに,専門家である森本特派員の記事についても疑えば疑える点が出てくる。この記事は,当の発見者のいわぱ"手がらばなし"を談話として伝えているわけで,比較的冷静な第三者が目撃していたわけではたい。誇張もあろうし,本人の思いちがいもあろうというものである。

 新聞報道には誤報がつきものである。いちいち誤報を訂正していたら,紙面の大部分は訂正で埋まってしまうだろう,とまでいう編集人さえある。とはいうものの,全部が誤報ならだれも読みはしない。そこで"人間として可能なかぎり"真実に肉迫して,できる限り真実に近いものを伝えようとする努力が行なわれるのだが,"人間として"の習性から,事をより簡単にやろうとして失敗を演ずる。ー「言語生治APRIL1972No,247 誤報と報道……伊藤慎一……」より

 ともあれ,広報などの仕事に携わる者として,反省と自戒の糧としたいと思います。(K)


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