福島県教育センター所報ふくしま No.8(S47/1972.10) -001/030page
巻 頭 言
第2・第3研修部長 佐久間俊忍
わが国の情報化は,いろいろな面で本格的な段階を迎えようとしている。コンピュターの設置数,設置額は年々3〜40%ずつふえ,政府機関のコンピュター設置数だけをとりあげてみても,優に200セット以上にもたり,1年間にさらに30セットの割合いでふえつづけている。これに民間関係の設置数や設置額を考えてみると,日本の社会全体が,既に,いわゆる「情報化社会」を形成しているといっても過言ではない。
また,一方,通信回線を利用した「データー通信」のネットワークは,すでに,日本全体の50%以上近くを占め,主なるネットワークをみても15システムが実働し,10システムが目下,実施のための計画を立案中という盛況であって,情報のシステム化は,すべての国家機関,すべての産業社会,すべての国民生活をすっぽり,その翼下におおってしまった感が深い。
さらに,その利用形態も,数年前までは,単なる事務計算や,技術計算だけにとどまっていたものが,現在では,公害問題,医療問題,あるいは交通問題,さらには海中や宇宙の問題等々,社会開発から宇宙開発に至るまでに発展し,それらの予測や検索,あるいは,意思決定等々,人間の精神分野にかかわる分野にまで,その利用範囲を拡げながら,その機能を発揮し,とどまるところをしらない状況なのである。
このように,社会が情報化されることは,必然的に,教育の分野にも,かつてないほどの影響を与え,変化をおこしつつある。
変化の第一は,以前には,人生のある一部の期間に限って教育のいとなみが行なわれてきたものに対して,その人の生涯にわたって教育のいとなみが行なわれるべきものだという発想の変革を求めてきたことである。
即ち,昔のように,知識・技術が,殆ど変化をしない時代は,ある年数を限って,それらの知識・技術を教育すればそれでよかったのであるが,現在の情報化社会のように,きわめて急速に変化する時代においては,知識・技術が,絶えず陳腐化して,更新を必要とするので,単にある時期に限っての教育では,間に合わず生涯を通じて,それらの変化に対応できる教育をうけさせることが必要だとする,いわゆる,「生涯教育」の考えを生みだしてきたのである。
その第二は,情報化社会においては,情報が大量に,しかも,スピーディに流れるために,社会は,瞬時の休みもなく社会変化をとげるということである。そのためにつねに,これらの変化に,すみやかに,正しく,適応できる実践力のある人間が育成されることを,従来の教育よりも,さらにより強く要請されてきていることである。
さて,われわれが,これらの現代的課題にこたえるために,「情報処理教育」という,全く新しい問題を考える場合,大前提として,まず考えなければならないことは,現在,社会の各分野において展開している情報システムは,数年後において,また新たな分野によって,おきかえられるというような,はかないものではなく,将来にわたって,社会を形成する大動脈になるであろうということと,従って,情報処理の知識・技能が,国民の一般常識として必要になるであろうということである。
つまり,情報処理教育を,一部のひとびとのための教育とか,あるいは,ある時期に学習すれば,終りだとする従来の考え方であっては許されないということである。
この考え方を,本県の高校教育にあてはめて考えるならば,情報処理教育は,単に,職業教育をおこなう学校ばかりでなく,広く,高校教育全体の問題として,あるいは,生涯教育の問題としてとらえることがたいせっであることを示唆していると思うし,また,そうすることが,現代の情報化社会に,教育界が正しく対処する道であろうと思うのである。