福島県教育センター所報ふくしま No.11(S48/1973.6) -024/025page
実施させている。しかし,各学校にせん孔機が,ほとんど導入されておらず,講義以外はすべて,センターでの実習に頼らざるを得狂い現状では,消耗品費は本年度より県費負担になったとはいえ,本県のような広い地域からのセンターへの来所は,交通費等で大きな負担となり,更に引卒教員の授業の振替,代講,生徒の授業の組替なども今後検討して行なわなければならない問題であろう。
生徒の実習は,あくまでも年間を通じて履習され,その進度に応じて実習が実施されるべきであるとの観点からみるならば,各学校に電子計算機を設置するか,データ回線を利用して,センターの電子計算機を利用する方法が採用されるべきであろう。しかし,両者とも経費の点で問題があるとするならば,学校に端末装置を設置し,準専用線を利用してセンターの受信装置に送り,センターではこの紙テープを磁気テープまたは磁気ディスクに変換して,バッチ処理を行ない,処理結果を学校側に送り,端末のタイプライターから処理結果を出させるような方法を採用して,広く数多くの生徒に,コンピュータによる情報処理の基礎的な知識と,基礎的な実際の技術的な処理方法を習得させていきたいものである。
あ と が き
昭和48年度第1号,通刊第11号をお届けします。本年度は,学校経営の組織・活動の最適化や教授・授業展開の本質に迫るための研究成果の発表を中心として,所報を編むことになりました。先生がたの日々の教育実践に役立てば幸いと思います。
さいきん,"教師の悩み"として"自信喪失"が大きな問題となっているようです。東京都研教職員相談室がまとめた46年10月から47年9月までの1年間の相談状況によると「人が自分をどう思っているか気になる」「生徒が騒いで満足に授業ができない」など,対人恐怖,自信喪失などの個人的悩みが全体の16パーセントを占めており,相談室を訪れる"悩める教師たち"は,30代から50代にかけてのベテラン教師に多い。"生徒が騒いで授業ができず"にノイローゼになるのは,最終的には,自己研修の不徹底と各種研修機会への不参加,学習指導上の「技術の未熟さ」に基因する「不適応」の病状と見られるだろう。――日本教育新聞6月1日号。
お互に"研修"に励みたいものです。
さて,日本語がだんだん分かりにくくなってきているようだ。逆説的には,つぎのような「詩」は,読みながらすんなりと現代人の頭脳と感覚に入ってこないのではないだろうか。
・・昔者好小人のころほひ われ御身を 人工燈火燦燗たる 軽佻なる加不可思議なる 巷巷の?玻瑠の表裏に眺め いまは醜き老骨の破片のわたくし 御身をば 烏き死の翼ごぶごぶと 音なせる深山なる処女林の梢を視る也 猷 愛心を発す大なる器たる童貞よ 一切有しかく在らしめたまへ 心の老の懈怠と絶望と痴愚困憊と自嘲と焦心と抓疑とより悉く救はせたまへ御母よ たとへば 病める石女の肌膚を蠱ってにぢり出る濃汁の細胞のうちに蠢動ける 検鏡下一千万微生分子の世に懾ろしい存在のごとく 刺と生き生きと身動きたまへり しくも・・・・・「夜の誦」―日夏耿之介
これと対比的に現代では,−渡辺さんは機関車をバックさせた。「助士がいる時は, "当たりO両 (あと何両分だけバックさせれば連結できるの意)" と距離をはかってくれたのですがね。」「 12徹 ( 1月の徹夜勤務が12回 ) ですから体にこたえますよ」という渡辺さん。 −ある女性歌手が司会をして「 オニケせまる 」を連発する。「鬼気迫る」だと分り,一同口あんぐり。 −テレビの,ラジオを聞いている場面で「〜ラジオを ソク消す? 」「いや」−「おとうさま,カレーライス,そくたべません?」「ライスカレーだ。そく」−「たばこ・・・する?」の普及率は90パーセント。「当節の恋人同士が愛用している。お茶, スル? 映画, スル? なんて調子。」だと。 −テレビの画面で, −男〔杉浦直樹〕タバコに・・・する ? (女に)女〔うしろ向き〕 タバコ・・・する? 〔中賂〕男〔アップ,正面〕タバコ・・・する ? −さっきから,壁の貼紙が気になっている。− 土耳古(どみみこ)コーヒー って,何かしら・・・ −それとも, 土耳(つちみみ),古(ふる)コーヒー かな。−(言語生活6月号)ともあれ,現代日本語にはついていくのに一苦労。 −かくして,ますます,古典は読めなくなるのである。(S)仕事をおぼえるまでは細心である。仕事になれると大胆になって,はじめの細心があやしくなる。でも,おぼえる頃の緊張が結晶化して,仕事に在れるにしたがい,自信の色がかがやきをます。
そのうち,仕事の意義・内容・効率を考えさせられるような事態にあうと,また原点にもどされてしまう。が,細心も前とはちがった次元ではたらく。
そして,まがりたりにもひとつの構造をとらえると再び大胆になり,持論が自信をかためる。しかし目標からみると,自信は簡単にかたまるものではない。
こうしてみると,仕事に対する"細心大胆"という姿勢は,摩擦をともなった運動態とうけとれる。さらに仕事は,同時に定着性をもっているので,ときどき創意にふれないと窒息状態におちいり,人は猜心怠慢となる。(K)