福島県教育センター所報ふくしま No.14(S49/1974.1) -001/022page

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内藤善次

巻 頭 言




研究・相談部長   

        内 藤 善 次


教育の現代化と思考

教育の現代化ということをどう受けとめるかは,その教育の質や条件によって異なるだろうが,科学的な構想に立って,しかも効率的であるということができよう。また教育は,「実践であり,しかもその過程が尊重されなければならない」とするならば,そのことは具体的な事実としてとらえるべきである。いかに言葉として,かみくだかれていても,事実がともなわなければ具体化されているとはいえないだろう。そこで「科学的」で,かつ「効率的」であるということを実践場面からみる必要がある。

科学とは,教育学事典によれば,「諸法則の体系的あつまり」と概論している。このことはつまり,「たいていの場合,誰がやっても,だいたい同じような結果がみられる」ような仕組みであるということになろう。

効率を高めるには,管理機構としての「わく組み」が必要になり,共通理解に立って,協力的に継続され,その過程に充足感・満足感がもてることであると思われるが,しかしこのことは,限られたわく内のことであって,それ以外の進歩は期待できない。各人の自由意志活動の余地がなければならないと思われる。そこで現代的な効率化は,「構成員の自由意志活動を配慮した弾力的な管理機構にある」ということができよう。

現代化の焦点は,学習の主体的活動のあり方と,教師と児童・生徒の力動的なかみ合いの教授・学習過程にあるとみることができよう。

主体的な活動には,その背景に満足感や充足感をもてる喜びがなければならないと思われる。その喜びを与える根底は,発見であり,創造であろう。このことは人間性として最も高い欲求とも言えるだろう。

発見や創造は,みずから自己をその中に引き入れ,さまざまな諸能力が駆使され,夢中にさせる過程において,収集カや思考力を高め,個性の伸長とともに生まれると考えられる。主体的活動のあり方としては,創造性の教育が身近かな問題として取り上げられており,創造的能力とか,思考力ということが中心に論じられ,ややもすると学習の目標であるかのような印象をもたせている。

思考の機能は,概念,判断,推理などに大別され,その過程は問題状況のだいたいの構造のは握からはじまり,模索し,分析し,解明し,検証するということになろう。このことを教育の実践場面からみるならば,思考とは,「情報の操作である」ということができよう。外界から情報が認知され,知的機能として,整理し,構造化し,貯蔵する。それが課題に直面したとき,その貯蔵庫の中から必要な情報を検索するということになる。それで情報を発達段階や経験に即して,整理しやすく,組み立てよいように提供することが必要になり,反応場面や機会は条件を整備し,検索を容易にするよう努めなればならない。

教育の過程については,現実の反省に立ち,改善の試みとして,創造性を開発する授業とか,思考力を高める指導過程などとして,そのモデルやパターンをそのまま採用し,各教科で実践するといった姿がみられる。こうした実践は,児童・生徒の可能性を期待する改善ではあるが,本質にせまっているとはいえないだろう。学校・学年・学級,そして教師を,その培養を果たすような体制にし,児童・生徒の認識過程を重視した学習訓練を試み,相互間の密接なかみ合いのもとで展開されるべきであろう。


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